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陽岳寺の朝は、先ず葛西橋通りと清澄通りの歩道掃除から始まり、お墓と前庭へと続きます。

季節によって、ちり取りに入るものは違うのですが、一年中落ちているものに「タバコの吸い殻」があります。

今、都区内では何処でもタバコのポイ捨て禁止のはずなのですが、堂々と歩道に捨てられています。

若い人も、壮年のサラリーマンもお年よりも、タバコが短くなって吸えなくなったらポイ捨てです。

そのために、マナーとして携帯用のタバコ吸い殻入れがあると思うのです。

吸い殻入れのケース持参の人もいると思えば、少なくなったと思えばよいのでしょうか。

ポイ捨てされたタバコの吸い殻も、踏みつけられて消された残害、火が付いたままにポイ捨てされた残害、まだ火も付けられずにそのまま落としたもの、電子タバコの吸い殻、タバコがなくなって空になったタバコの空き箱も、ポイ捨てです。

タバコ吸い殻のポイ捨てをしながら、何か大切なことを、ポイ捨てし続けている気がしてならないのです。

ゴミを捨てるということが、悪いことであると全く何も感じない人、少しは「いけないことをしている」と感じるけれども誰も見ていないからとポイ捨てする人、さらに掃除をする人の気持ちなど考えることがさらさらない人。

意識の中に、悪いことをしていると少しでもあればよいのですが、それが習慣となって癖となってしまったら、大切なものをポイ捨てして取り返しの付かない大きな事件となって、一生をふいにすることもあるから要注意です。

ポイ捨てされたものは、吸い殻だけではなく、車が通る道路の路辺にも落ちています。

これは、歩道を避けてポイ捨てしたものですが、ポイ捨てした人の気持ちが想像できますので、道路を汚して悪いことをしたなと、少し思い測って掃除をします。

お寺の駐車場にも、吸い殻のポイ捨てが、必ずあります。

タバコが会社の中などで吸えなくなって、わざわざ寺の駐車場に来て、誰も見ていないからと申し訳なさそうに吸っていたサラリーマンがいました。

それを見て、「たのむから、吸い殻はポイ捨てしないでくれ」と言ったことがありました。

彼は、「ハイ」と言ったものですが、今でも駐車場にも落ちています。

自分が住んでいる住居や建物の入り口に、吸い殻が投げ込まれたら、悪意を感じ嫌な気分に、あるいは腹立たしい気分になることもあるでしょう。

人によっては、そんな反応することもあると浮かばない人がいたとしたら、救いようのない人となり、昔の言葉でいえば、「親の顔が見てみたい」となるかもしれない。

これは、現実に起きていることなのです。

気づかないのは、あるいは気づいていても、自宅内でポイ捨てしますか?

最近はゴミ屋敷の騒動が、世間を騒がせることもあるのですが、居るのです。

また宴会シーズンなど、たまに歩道にゲロがあります。

長年経験していることは、きっとゲロする身体の調子によりと思うのですが、掃除をしにくい場所だったり、わざわざ門の前とか、ところを選ばずにゲロはあります。

水道の蛇口にホースを繋ぎ水で流して、道路の下水口に流し込みます。

また歩道の緑樹帯にゲロがあることが必ずあります。ナマの場合は土で覆って乾いたらすくい取るのですが、何と鳩が群がり綺麗にしてくれることもあるのです。「そんなもの食べては駄目だよ」と、追い払っても鳩が掃除を手伝ってくれることもあるのです。

外出の機会がたびたびあり、その都度、歩いてその街を見ます。

いろいろなゴミや落ち葉が落ちて、汚い通りを見ることがたびたびあります。

大きなビルやマンションなどは、管理する人が掃除をしていますが、中にはきたない状態で街の美観はどうなっているのだろうと思うこともあります。

掃除をする人が居ないと、汚れてその地域全体が、汚れに染まるから要注意です。

小学校や中学校の先生方も通りますが、先生方からよく聞く言葉は、「転勤してきて、深川の街が綺麗なのには驚きます」と、習慣となっているだけなのに、褒められて気分がよくなることもあります。

街が綺麗であれば、住んでいる人も綺麗だし、そこに育った子供たちも綺麗なはずです。繋がっているし、関係しているはずです。

こういう見方もよいかと、ポイ捨てする今の私、行為する私という不連続の私が、連続して時間を作っていると考えると、考えるだけでゾッとしますよね。

心と行為がより直接的であれば、今、行為する私となれば、私に嘘はつけず、心と行為はが一体になります。

そこで私を変えなければと思えば、朗報があります。

行為を変えることで、私が変わるのです。

一つ一つ今までの行為した私を思い出して、すると爪や髪が伸びるように、人間の肉や骨も、脳や臓器の細胞を含めて、毎日毎日、古い細胞は死んで、新しい細胞が誕生して、連続が続いているように、実は心も同じなのです。

捨てるものは、たとえポイ捨ての心であって、さらに足すとすれば、悪口を言うこと、嘘をつくこと、人を責めること、人をののしること、人を見下すこと、人を傷つけること、姿や形で人を判断することは、悪口を言う今の私、嘘をつく今の私、人を責める今の私、人をののしる今の私、人を見下す今の私、人を傷つける今の私、姿や形で人を判断する今の私ですから、自分が作られている過程がわかり、自分の心に向き合うことが大切です。

そして今の私に向き合うことができれば、今の私が一歩変われる。

今の私は、いつまで経っても今の私と悟れば、自分に嘘をつかない今の私がいかに大切であるかわかるでしょう。
2018.08.01 Wed l つぶやき トラックバック (0) l top

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