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昨年は、123日の白根山の火山噴火から始まり、49日には島根県西部地震、618日には大阪北部地震、7月豪雨では西日本の各地で記録的は被害が発生しました。96日には北海道胆振東部地震が発生しました。

台風も、12号が729日三重県伊勢市に上陸して西に向かって逆走台風となって高潮被害などの多くの被害が発生しました。823日には20号が、94日には、21号が徳島県南部に上陸し大阪神戸では1961年の室戸台風の記録を超えたといわれ大きな被害をだしました。さらに台風24号が沖縄、鹿児島に、9月30日には和歌山県田辺市に上陸し福島まで風の影響で倒木の被害や水害など大きな災害を起こしました。

また地球温暖化で、2018年の猛暑は、記録的にも統計開始以来最も高くなりました。これら列記した意外にも、地域によって土砂災害、高潮水害に倒木被害等々、風による被害がありました。新年早々、多くの亡くなられた命に悲しみをもち追悼の意を表します。災害に遭われた方々の、一刻も早く元の生活になれるよう願っています。

さらに過疎化、少子高齢社会、格差、パワハラ、日本列島だけではなく、世界中が多様性を崩して、そこに暮らす人々に多くの苦痛、困難に不安が重なります。さらに日本を支えてきた高齢者をターゲットにした振り込め詐欺には、憤りをおぼえます。

今年最後になる平成という年号の記す意味も、「内平らかに外なる」、「地平らかに天成る」で、人々の平和への希望を願ったものでした。

人は誕生したとき、誰でも、気づかないけれど、自分の荷を背負っているものです。

 2011年3月11日以降は、あどけない、無垢な子ども達にとっても、未来に生まれる子ども達にとっても、共通な生きる重さを背負って人類は歩んでいるとことを、忘れてはいけないと思っています。

 そして、そんな時代になってしまったからこそ、この世の中に、明るさを求めて歩み続けたいし、温かい心を失いたくない。すべての人を限りなく見つめて、愛さねばならないし、さらに動物や植物、地球や宇宙までも含めて、命あるもとしてかかわり合いたい。

 この困難な時代に、思いも掛けず亡くなってしまった多くの方々に代わって、自分が今、生きているというこの事実を見つめたい。

 考えて見ると、頂いた命も、ほんの少しの間、しばし留まるだけの命だから、感謝し、生きている間、他の頂いた命を持つ人たちと、あたたかい心を、ほんの少しの間だけれども分かち合わねばならない。

 次々と訪れる災害に、心配や苦しみは、むしろ人生の道しるべとしたい。生きる糧(かて)としたい。この災害に、いったいどんな意味があるのか。なぜこんなことになったのかとの問いも、それは、背負って立つことのあかしだ。

 この事の自覚は、自分への励ましではないか、すると、新たな想像力として、意思の力となってみなぎり、養えるはずだと気づく。

 この時代の平和の条件は、日常の至る所に無数に散らばっている。どんなことに出会っても慎ましさと、他者への慈悲の気持ちを忘れないことではないのか。それが智慧ではいか。

 家の外で、子ども達のにぎわう声がする、ただそのことに、嬉しさとなって、日常の些細なところにあるのであって、大きくて多いものにおいてあるのではない。

 今日の朝の目覚めに、頂く一杯の水に、お早うという言葉に、玄関を開けて外の空気を吸おうとしての歩みに、或いは、足を引きずりながらも進む歩みに、嬉しさを感じないだろうか。

 人生の生き方を知る、真の人とは、生きている輝きに気づくことだ。

 耳を澄ませ、目を注ぎ、味覚を養い、身体で触れても、その感触や思いを、鏡のように心に留めないで、刻々と生きれば、一瞬一瞬の時を知るものとなって、天の国はすぐそばにあるものだ。

 これこそ、平成という「内平らかに外なる」、「地平らかに、天なる」という、生き方を知っていることだ。

 谷川俊太郎は、「どんなに小さなものを愛してさえ、愛することさえ出来たら、私たちは孤独ではない。愛することで私たちは世界と結ばれている」と。

 愛とは、慈悲のように私たちを生かすものです。また、愛は、結ぶという行為の意味があることから、究極において、全体への一つの力です。しかも同時に、結ぶことは結ぶことで分離する意味もあることから、孤独をなくすことでもあります。

この関係を、仏教では「縁起の故に空、空の故に縁起」と説明します。縁起はつながるという行為ですので、その繋がることで、孤独は愛するという行為により空となり、世界と結ばれます。

 縁起とは、つながるとは、否定の故に成り立っている関係とすれば、逆もまた正しく、否定の故に縁起があると、縁起とは、あらゆるものの関係を伴った動きです。

 ここまで語ってきて、愛とか、つながりとか、縁起や空という言葉など、一度も使わずに、孤独で一生を過ごす人だって沢山います。

 その人たちが愛をもっていなかったのだと考えたら大間違いです。その人たちの方がかえって、本当の愛をもっていたかもしれません。

 この関係に気づくことで、もしかして、むさぼり、いかり、ねたみという矛盾や葛藤という孤独の欺瞞に満ちた今の孤独が、消え去り、逆に、生きる力として、喜ぶべきものとして、目覚めることを願っています。

 そして私たちも、矛盾と葛藤を、そのままに、人生を生き抜く力にまで高めることが出来るはずなのです。

何故なら、人は世界や環境の要素として含まれていると同時に、世界や環境を含んで人は誕生し存在します。その世界は、含んでいながら含まれている。包んでいながら包まれている。部分で在りながら全体である。結ばれていながら離れている。独立しながら連帯している。選んでいながら選ばれている。生きていながら生かされている。

 ただ心配なことは、孤独というものを対象化すれば、世界も固定されてしまうことです。

2019.01.02 Wed l l top