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元号が平成から、令和の令は、うるわしく神様の神意を聞くということから、良いこととなり、和は、和らぐ、そしてなごむです。

しかし、元々は令は命を表し、和は和平や和順など戦争をしていたものを講和によって平和をもたらすことが和の語源でした。つまり人間がいがみ合って、いたずらに命を傷つけないようにということが示されていると思います。

国書である万葉集からは、「うるわしく平和に生きる」民の姿を、日本という国の形に描いたのでしょう。万葉集の和歌の出典時期は、西暦421年の歌からですので、古墳の時代中期になり、(大阪・堺の仁徳天皇陵ができた頃から)、759年頃までの、338年間の、和歌を集めたものです。奈良時代の、天平というくくりの最後で、大伴家持が、万葉集を編纂します。

もっともこの頃から、漢字を万葉仮名という日本式のひらがなに当てはめています。その頃太宰府で、家を持つことが名前になる時代だったのでしょうか。

さて、聖徳太子が誕生したのは、西暦574年で、日本の国が大和朝廷という国家として形成した時期です。593年、初めて女性の天皇・推古天皇が誕生したことは、今から見ると、とても進歩的に見えます。聖徳太子は、皇太子になり摂政となります。

この間の時代は、遣唐使派遣など、町づくりにしても、真四角な町、直線的な道路など、国造りという飛鳥時代を生きた聖徳太子(没年622)でした。
太子の作られた、一七条の憲法、その第一条は、「和をもって、貴しとなす」です。この頃にしては、民主主義もない時代に、革新的な内容です。日本国民の1人1人、それぞれに違いとして認めながらも、和をもって、そのいちいちを「貴しとなす」と宣言されたのでした。

平和は、もともと、戦争する双方が講和をして、戦いが終わったことを意味するのですが、平和の和を熟語から外して、和を独立させたことです。「貴いことは、平等なこと」と、読んだことです。

絵に描いた平等ではなく、理想が理想でなく現実の実相として見たならば、これは当たり前のことでした。ところがこの当たり前のことを、一人一人の個人が当たり前のように受け入れなければ、和が、平等が、貴さが表現できないことも示しています。

それだけ、個人の尊厳が保たれることが、この言葉の中に含まれていることを認知しないと、国民を一つにまとめることができないと、聖徳太子は納得されたのでしょう。

その「和をもって貴しとなす」とする内容を、仏教は、和を同じで、ドウと読み替えて、「和して同ぜず、同ぜずして和す」と読み替えます。この言葉の中に、和と貴さと、人それぞれの違いや個性が表現されています。

一人一人、違いある固有な個人として、同じだけれど同ぜずと、また、同じではないけれど同じと表現します。個人一人一人、それぞれ人格も生い立ちも年齢も、ものの見方も個人としての尊厳も違う人が、何で同じではないのに平等なのだろうと、矛盾することの問いも含まれています。

そこで、赤ちゃん誕生を考えてみました。赤ちゃんは、ものの見方・考え方もないうちに、和の中に生まれてきたのではなかったか?ものの見方、考え方という主観は後天的に取得したものです。

その主観という私の意識は、初めに、家族単位の中、おじいちゃんおばあちゃん、お母さんお父さんという単位の中に、主観を持とうとする赤ちゃんの「私が」誕生します。

先ずは夫婦、あるいは家族という一人一人、個人という独立した主観をもつにも関わらず、和の中に誕生し、育まれ、成長していきます。もともと家族という単位は、「同ぜずして和す」が成り立ちの基本です。赤ちゃんは、保育園、幼稚園に入園しても、その入園生活に慣れてくれば、「同ぜずして和す」という、子ども達は団体生活を学びます。

子どもたちが、そのクラスの体験から得たものは、私という違いの学びのはずでした。

ところが、子どもでも意識していないけれど、生きるため、食べ物を食べて成長するため、自我が発達してきます。これはまた、自我というものを中心にして見ることを身につけていくことです。

すると、「和して同ぜず」、「同ぜずして和す」、が難しく、他人の違いばかりが見えて、私の違いが見えなくなってしまうことです。

人の気持ちや性格、あるいは無意識の中から飛び出す特定の意識は、子ども達も大人も同じなのですが、直感的に、自分の中に、仲良しとそうでないものが、望むことと望まぬことが、理想と現実が、決定する意思と随うことが同居して、好きと嫌いが、主観というものの発達によってそれぞれ異なってきます。

その違いが、どこから来るのかわからない。自我が見えない。指摘されても理解できないというところにあります。

現実は矛盾によって、「和して同ぜず、同ぜずして和す」と、成り立っているのに、その矛盾がもっとも嫌われる、阻害されて、うとまれることです。

個人は一人一人、私やあなた、それぞれ固有であり独立したものです。ところが現実は、別々のもので相容れないものですが、矛盾しながら和を形作っていることに気づかない。

これって、当たり前のことです。自然界のいちいちの命あるもの、また命がなくとも、そのいちいちは異なって、あるいは違いがあり、形があって、人も自然が成り立っているという事実だからです。

「なごんで、和らいでいながら、同じではない。同じではないのに、なごむ、やわらいでいる」と。

さて、「和して同ぜず、同ぜずして和す」は、異なるものが和をもってあるとは、異なることと、同じの同が相対して互いに相反するものとして、矛盾しながら、対立しながら同時に成り立っていることです。

どこまでも、世界は異なりながら同じ、同じにして異なるというところに具体的な世界の事実があるということです。

個別の違いや、上下とか、言葉の意味として、異なることを観察することとし、同じや平等、一つや、一緒を観察すること、この二つの見方を学ぶことが強いられといえるでしょう。

そして、その結果、もしドウ、同じのみならば、平等・永遠・連続・相続・人生は、区別はなく、断絶もしていないし、異なっていませんし、変わることもありません。原因があって結果がある因果というものもなくなることに、気づきます。

では、同ぜずばかりであるなら、違いばかり、別々となってしまうでしょう。さらに人生というくくりもなくなり、今ばかりとなります。常にあらず、人生にあらず、平等にあらず、となります。この同ぜず、異なるは、差別、区別・の絶対的事実となります。人生にとっては途中ばかりとなるでしょう。

これは、違いばかりであるなら、平等や平和はありません。やはり世界には、平等や和す、同と書いて同じ、という概念・有り様が不可欠なのです。

世界は、やはり、常に非ずですが、断絶に非ず、同時に、断絶にして常、常にして断絶であることが大切です。

あらゆる個々という違い、異なるのものは、同に集約するのですが、では同は何によって成り立つのか。個々の個によって世界は成り立つことに気づけば、個は同の一部なのですが、同という全体・平等への意味を荷っていることがわかるでしょう。

相対するものによって成り立っていると。同じでないことが同じを含んで、同じは同じでないことを含んでいる。

「和して同ぜず、同ぜずして和す」という、そこからは、平等とは差別や区別によって成り立ち、つまり差別や区別を根拠にして、平等は成り立ち、反対に、差別や区別は、平等よって成り立っていると見ることができるのです。

>そして同じや平等は見えないもので、区別や差別は見えるものともいえます。同じや平等という見えないものを、禅は、違いや異なる典型の私が、無心や空になることにより体感します。

さらに、同と異の法則の現実の世界は、これらの相反するものが常に相い即してある姿と見えてきます。

さらに相反するものの結びつきの関係とも説明できますので、働きかけるものと、働きかけられるものも、二つで一つ。あるいは一つだと。また別の言葉で言えば、働きかけるものは、働きかけられるもので成り立っていると、その逆も同じです。

別に例えれば、商売でいえば売る人と買う人。教育でいえば、先生と生徒の関係、話す人と聞く人など、分かれていながら一体だということが、関係、つながりのあり方となります。

更に言えば、相反するものが、違いがありながら、平等、同じ、和となって貴しとなるとき、より現実的な世界のあり方となるのです。

また私たちは、よく自由を欲します。実は、自由と必然の関係も同じように、必然にして自由、自由にして必然の関係で、別々でありながら同という関係に気づくことなのです。
2019.05.01 Wed l l コメント (0) l top

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