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皇の,諱(いみな)は富仁(とみひと)、その時の開山住職は、関山慧玄禅師で、花園法皇在位は、1308年9月11日(旧暦延慶元年8月26日)から1318年3月29日の9年間で、妙心寺を開かれたのが、1342年(旧暦暦応5年/康永元年/興国3年)で、崩御された日は、1348年12月2日(旧暦正平3年11月11日)享年52歳でした。


花園法皇は、幼少のころから学問詩歌書道に優れて、宮内庁書陵部の学道之御記には、「学問の目的はただ文字を識り、博学になるためのものではなく、本性に達し、道義をおさめ、礼義を知り、状況の変化をわきまえ、過去を知り未来に活用するためのものである。」と記しています。


花園法皇は始めに紫野大徳寺の宗峰妙超(大灯国師)>として修行します。やがて大灯国師が、1337年(建武4年)に病となり重篤な状態となると、花園法皇は国師の後継者として関山慧玄禅師を推挙され修行が続きます。その場所は、花園法皇お住まいの花園離宮を禅寺として、今の正法山妙心寺でした。大灯国師は翌年1338年1月13日(延元2年/建武4年12月22日)に、亡くなりました。



法皇と大灯国師の出会いの問答が、「大灯国師語録」のなかにあります。花園法皇は大灯国師の風評を聞き、国師を内裏にお招きしし、法皇は和やかに談話をしようと思いましたが、国師は袈裟を着用して対坐することを望みました。法皇は許して座は問答のようになりました。国師と対坐して、法皇はまず、「仏法不思議、王法と対坐す」と国師に問いかけしました。


天皇が上皇となり、仏教を学んで法皇となっても、国師は法皇の臣下であり、上と下の関係をなくして対坐することは許されないと、そんな意味合いもあったのでしょうか。王法という世界に住みながら、仏法という法の世界を垣間見ての最初の言葉でした。国師は、すぐに「王法不思議、仏法と対坐す」と応じます。法皇は、この返事に、「龍顔を動かす(にこっと笑顔)」と、満足したと記されています。


法皇と国師の関係にも、王法と仏法が歴然として二つある。王法は、花園法皇、支配・遵法・序列・知識・色・分別・異・違い・差別であって、これら相対するすべてを万法とも言います。それに対して、仏法は、大灯国師・無階級・智慧・無心・空・無分別・同・平等・無差別・悠久・永遠です。考えてみれば対立しているかのような、この矛盾したものが対立したままでは、座は一歩も動きません。
国師の答えに、花園法皇が「龍顔を動かす」ことで、対立の構造は一気に解けていきました。この当時、王法は天皇によって代表される世法です。当時も今も、多くの生まれた赤ちゃんにはそれぞれご両親に育まれやがて成長し、それぞれに仕事をし世代を繰り返していきます。それぞれ結びついたり離れたりと形を形成しながら、人や生物も動物も小石もやがて大きな岩や山となって苔むすまでと、まるで君が代の歌のように、悠久という時間の流れの中にです。



花園法皇と国師はたびたびこうした席を設けたのでしょう。国師をお招きしたときの対話がまだ残っています。法皇が国師に尋ねますが、この問いの緊迫した様子が目に浮かびます。法皇が、「万法とともならざるもの、これ什麼人(なにびと)ぞ」と口火を切ります。

この問いは、王法という席につく法皇ではなく、修行者あるいは仏法を自己のものとした求道者の一面があります。王法に仏法そして、今度は万法と、確かに世界には諸々の憲法があり、業界や組織、家庭や家族決まり事も、さらに無生物と生物の、それぞれの有りようという法則という万法とは、何なのでしょうか?



碧巌録に趙州和尚の有名な問答があります。僧、趙州に問う「万法一に帰す。一いずれのところにか帰す」と。それに対して趙州は答えました。私は昔故郷の青州に居たとき、一枚の麻衣を作った。重さは4.2キロあったと。万法に一帰す」の一とは、「万法と侶ならざるものです。趙州の答えは、「麻衣の4.2キロの重さだった」というのですが、これに対して、故人は、「この麻衣一枚の重さを、幾人か知る」と語っています。


「万法と侶ならざるところ」とは一であり、絶対平等・無分別の分別・仏法です。「万法と侶なるところ」は相対の世界で、二や多、そして分別する私たちを現します。平凡な、ありふれた、日常生活の中の一つ一つの行為が、いちいちが、「万法と侶なるところ」なのですが、それが同時に「万法と侶ならざる無分別の私」と、国師は法皇にそう対坐して言っているのでしょう。そこで「万法と侶ならざるところ、これ什麼人ぞ」に対して、国師は、扇を動かしながら、皇風永扇あおぐ」と答えたということです。


万法がつかめたならば、その万法を現そうとすれば、万法と侶ならざるところで、国師の扇(おうぎ)であおぐという今の行為となって示しました。しかもその風は太平にして平安に憩う庶民の心持ちの風です。万法と侶ならざる人は、国師手中の扇子と共に動いてる当体国師法皇、私ら一人一人となります。禅宗三祖禅師の信心銘には真を求むることを用いず、唯だ須らく見を息(や)むべし。二見相対の知見に住せず、慎(つつし)んで追尋すること勿れ、紛然として心を失す。二は一に由て有り、一もまた守ることなかれ。

2019.07.06 Sat l l コメント (0) トラックバック (0) l top

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