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私たち一人一人、生きて現実に歩む道は、夫婦であっても、子どもがいても、ただただ、一本の道が果てしなく繋がっていると、見てもよいでしょう。

親しく亡くなった、父や母、祖父や祖母、さらにその先の亡くなった者が歩んだ道も、それぞれ一本の道でした。

共に、時間を隔てて、別々の道には違いがないものの、親しく亡くなった者の歩んだ道も自分の歩みも、続く道だと気づくことも、また、新しい自分や親しく亡くなった者を発見するものかもしれません。

とある男の子が、幼かった頃父を亡くしました。病気だったこと、母が看病しながら仕事につき、男の子を養いました。父が荼毘にされたとき、母はそっと、夫の「のど仏」をハンカチの中に入れて自宅に帰りました。やがて骨壺を菩提寺のお墓に納骨しましたが、母はのど仏を小さな緑色のガラスビンに入れて、幼い子どもに言いました。

「いいかい、これから、この父の形見に水を供えるのが、お前の勤めだよ。いいかい、毎日毎朝だよ!」と。

 この繰り返して、形見に祈る子どもは、やがて大人になって立派な僧侶になりました。これは偶々(たまたま)なのか、必然なのか解りませんが毎朝毎朝形見に向き合う子ども成長には、向き合うということが如何にその子の人生にとって大きな比重を持つか不思議な感慨を持ちます

 とある家庭において、働き盛りの父が、急に病気で亡くなりました。子ども達は中学生になった頃・そして小学生高学年頃のような私の記憶です。母は、当然のごとく、仕事に就きました。

その時から、亡くなった命日には、必ず私が呼ばれ仏壇の中の位牌にお経を上げました。後ろに男の子2人と母が控え、終わって父に向かって焼香します。仏事が終わると、子ども達は自分の部屋に入ります。

お盆にも、お経を読みに行きました。子ども達も必ず居て焼香します。仏事で子ども達とお話しをすることは、ほとんどありませんでしたが、年数が経てば立つほど、確かな成長を歩んでいる姿として見ていました。

いつまで続けるのか、依頼されるまで、通った仏事も、下の子どもが結婚して家を出るまで続けたのです。考えてみると、母は、会計事務所の経理と計算の仕事を懸命に覚え家庭を守ったのですが、私は、一年に二度、仏壇の前でお経を読んだのですが、そのことと、子ども達が立派に成長したこととが、どう繋がっているのか知りません。うかがったこともない。

ただ母が働くことを辞めたのは、70歳後半だとうろ覚えですが、子ども達のそれからは、今も、その母から聞いています。

その母は老いに、追い越されないように、多くの趣味をもち、自分なりに老いの若さを謳歌して歩んでいます。

 仏事とその家族の家庭に絡む例は、数多くあるのですが、子育てが終わるまでの仏事で見届けたのは、この二例です。

 すでに立派な立場に立っている子ども達に聞いたこともないのですが、母は、今の子ども達を話すのです。
2019.08.20 Tue l うつつ l コメント (0) トラックバック (0) l top

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