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多い町はと探してみると、ツクリにある「肖」は「小さい」の意味。これに「木」を組み合わせて「木の中にある小さい部分→木の枝」と変化して「こずえ」となり、木の枝の先。そこから「船のかじ」となるのですが。

出身を探してみれば、静岡県が圧倒的に多く、神奈川県、愛知県と連なります。しかも全国に190世帯といえば、かなり少なく、日本では、23,148番目の名字・小梢(https://name.sijisuru.com/Roots/fname?fname=%E5%B0%8F%E6%A2%A2)です。

静岡県浜松市南区法枝町を中心として、近隣の町に少しずつ分布しています。法枝町はノリエダチョウと読み、遠江(とうとうみ)の国ですが、現在は浜松市の遠州灘に開けた町です。現在の地図を見ると、3カ所の飛び地によって成り立っている不思議な町です。遠州灘に沿って海に開かれ、多分本体法枝町ですがそこに八柱神社があります。浜津市のホームページでは、天照大神(あまてらすおおみかみ)の御子神(ごししん)、五男三女が祀られて、八柱というのだそうです。

安政29月再建の棟札が残されている以外は不明で、創立は不詳となっています。現在の社殿は大正97月に新築されたもので、神社としては珍しく西向きだそうです。

八柱神社という名前を聞くと、珍しいのか始めて聞く名前か、千葉の八柱霊園ぐらいでしょうか。この名前も由来はあると思うのですが、法枝町の大きな部分を占める八柱神社の歴史は不明と言うことも面白いのです。

そこで、浜松市役所に、メールをしてみました。

『きっかけは、この町に小梢姓が多いので、何故だろうと考えたのです。法枝町が変わった名前で、他にも八柱神社の年代が不詳と気になっています?その辺のこともお聞きしたいと思います。』

【回答】

この度、お問い合わせをいただいた「名前の由来と歴史」につきまして

回答させていただきます。

【お問い合わせ内容】

法枝町という名前に関して、地名の由来は、はっきりとはわかりません。

法とは普通法令あるいは法度を指し、法度の伝達の一番末端、つまり枝にあたる村というところから、法枝の地名が生まれたと言われています。

法が仏法を意味し、仏教が栄えたことによるという説もあります。

また、入り江でノリを枝につけて取っていたから、という言い伝えもあります。

浜松市当課発行の広報はままつ南区民のページ201210月号に掲載した。「町名の由来」のコーナーから引用しております。

問い合わせ

不思議ですね、仏法の伝わった末端という町が法枝町という由来になる。さらに、そこに小梢姓が、日本に一番多い町だそうです。町の由来を姓にした小梢だったと解釈します。また、法のノリを、海苔(ノリ)とすればどちらも真正の小梢となります。

とても親切にして頂きました感謝です。

さらに、この町に八柱神社があるのですが、近くの町会にもありました。この由来はいかがでしょうか?

回答

法枝町の八柱神社につきまして、こちらにある資料で確認できた内容をお伝えします。

『八柱神社』

祭神 多紀理毘売命、活津日子根命、天之穂日命、天之忍穂耳命、他四神

由緒 正平の頃(1348頃)すでに存在していたといわれている古社である。明治以前は、八王子社と称していた。

慶長6年(1601)伊奈忠次より黒印寄進状を寛文6年(1666)城主太田備中守資宗より除地の寄進をうけた。

万延元年(1860)神明社を、明治9年(1876)年八幡社を合祀した。

上記内容につきましては、

浜松市立新津公民館活動推進委員会発行の「わが町文化誌 潮かおる浜の里」(平成7316日発行)に

掲載された内容を引用しております。

これ以上の情報は、こちらではわかりませんでした。ご了承ください。

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浜松市南区役所 区振興課 担当:児玉

430-0898 浜松市南区江之島町600-1

TEL053-425-1120  FAX053-425-1695

s-shinko@city.hamamatsu.shizuoka.jp

送信日時: 2018919 14:34

 さて、正平の頃(1348年頃)は八王子神社だったということだけがわかり、それ以前のことは不明ということです。

八王子神社を調べてみました。確かに日本各地に存在します。実態は八柱神社と同等ですが、八王子神社の方が古来のものです。

法枝町の八柱神社の創建年度は、各地の神社も不明なものが多いようです。年代が古くてわからないと?

ただ創建がわかっているところは、8世紀9世紀頃でした。

この時代に何があったのか、各地に点在する八柱神社、八王子神社は、どんな経過で祭られてきたのか、その人たちはこの八柱にどんな思いをはせていたのか、年代がわからないこそ、ロマンがあります。

もっとも、この八王子神社は仏教と神道が集合したものです。両部神道(りょうぶしんどう)といわれ、真言密教の教理から神仏習合したものでした。

 伊勢内宮の天照大神を胎蔵界の大日如来として、伊勢外宮の豊受大神は金剛界の大日如来で、この両部曼荼羅が一体となって、伊勢神宮を形成しているというのです。

 そしてこの神道は、仏教伝来とともに影響を受けて、日本の神々も解脱を望んで、神前に読経した歴史があります。

神社境内に神宮寺も建立され、これは別の流れで、8世紀頃より本地垂迹(ほんちすいじゃく)説として、神仏習合の流れもありました。

 なお天台仏教との集合も、もう一方で行われ、山王神道となった。東京の日枝神社も、日枝は比叡山であり、比叡山で生まれた神道が山王神社・日枝神社となったのです。

八王子神社の歴史の始まりは、東京都八王子市の例では、916年(延喜16年)深沢山に八王子権現を祀ったことから始まりました。

千葉県船橋市の八王子神社は、807年(大同2年)でした。なおこの本社は摂津国東成郡(大阪市東成区中本4丁目)で、今は現存しませんが、これより古いことが裏付けられます。

浜松の市役所とのやりとりから、大きく興味が脱線しましたが、小梢のルーツと法枝町、八柱神社との関係はかなり濃いとおもうのですが、いかがでしょうか?

まったく無いのかもしれないし、わからないことかも、でも自分の名字の姓に古代のロマンが含んでいることは確かです。


2019.08.01 Thu l うつつ l コメント (0) トラックバック (0) l top

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