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終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



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 今年もまた、桜の季節を迎えた。お寺の前の公園の桜を見るだけだが、この桜、数年に一回はある工事で、枝を切られ、根を切られ、排気ガスにさらされ、犬や人間のおしっこに汚される。それでも、幹は荒々しく、枝は大きく広げ、根は貪欲に時たま地上に顔を出すが、地中を横に這う。

 夜には、若者たちが恋に戯れ、あるいは、別れ話を聞くこともある。人の怒鳴り合う声や、喧嘩などもあるかもしれない。酔っぱらった人間がベンチに寝ていることもある。

 この染井吉野は、自分が60年という寿命を知っているかのよう……。そういえば、昔、平安頃の貴族たちは、桜を塀越しに見る、奥ゆかしさを持っていた。

 「自然に、あるがままに生きる暮らすのが理想というものです」と、人は言うが、その桜の老いの姿を見て、春夏秋冬の季節のきびしさ、避けることのできない風雪に耐える姿、枝や幹が折れ、日に照らされ、火に焼かれ大地に留まることの意味をかみしめながら、それが自然に生きる、あるがままというなら、私たちには、自然に、あるがままにとは、過酷な試練を試練とも思わない心が必要でしょう。

 老いた幹に苔が生え、鳥たちが幹をつつき、枝を揺することにさえ我慢ができないでしょう。まして、森や林の中に在るとすれば、生き残ることを考えれば、他の木々と共生する思いは無縁なものです。それでもあるがままに生きるとするなら、自然のままに暮らすというなら、人間をやめますか、支え合うことをやめますか?

 そんな自然の中で、町中で、木々の老いを探し、そして見つけたとき、人はその木に宿った猛々しい精霊を見つけたように思うかも知れません。

 本来、人もそのように生きているのだと思います。しかし、自然に、あるがままにのようにではなく、支えられ、与えられ環境の中でです。

 今年も、人間は饗宴を繰り広げるが、桜は、意に介さない。



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