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終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



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開枕のこと

開静という朝の始まりを書くと、それでは就寝のことは何というかというと、開枕(かいちん)といいます。

開静が静かさを開くで、まさしく修行道場でなければこういった言葉は生まれてこないのでしょう。そして枕を開くと、別に夢の中へと推奨してるわけではないものの、いびきでやたらうるさいことかもしれません。何せ、堂内(どうない)には、おおくの雲水が並列状態で、敷居の上に頭を乗せてねているのです。

就寝の時間は、午後9時。一日の静けさを開く坐禅の時間が終われば、眠る。その作業は、開いているすべての障子引き戸を閉め、開枕のお経からです。

そしてお経が終わるや、禅堂を差配するトップの雲水が、鐘を打ち鳴らすや、一斉に雲水は立ち上がり、着ていた木綿衣のほか、着物以外のものを脱ぎ、同時に今まで坐っていた座布団をまとめて後ろの棚に、上の棚から柏布団を素早く出して、その布団の中に一斉にくるまり、目をつぶるというわけです。

すると、今度は、堂内の坐禅をする雲水の世話係が、警策(けいさく)という長く平たい樫の棒を肩にのせて、堂内を一周し見回り、差配をする雲水と二人して、後門の障子戸を閉め、裸電球一個の電源を落とすことで、開静から始まった一日が終わります。

開枕という作業で、就寝するや、暗くなった禅堂内では、やがて、暗い中、むくむくと雲水が衣を着け始めます。そして座布団を持って、夜座に出かけます。

開静の開枕のしきたりは、日本に禅堂を持った、修行道場ができてからです。

一挙手一投足の中に、躊躇せずに、わき起こる意識なしに自己の行為が完結することの日常の表現というのでしょうか。

その道場の一つ一つに、365日、730日、1095日、1460日、……という日常の中で、365回、730回と繰り返すなかで、意識で自己に選択をあたえるものではなく、自己のものになり、立ち居振る舞いのなかに納めることで、禅僧が誕生するからです。

これは教わることでもなく、知識でもなく、見識でもないでしょう。研修や学習、知識とも違う。日常の中の、一挙手一投足、吐く息吸う息のあなたは、私は誰ですか?

問うているものは誰ですか?問わせているのは誰ですか?

問うているもの、問わせているものがなくなったとき、あなたは何によって守られているのですか?



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