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驀直去

 昔、中国に五台山という文殊菩薩をお祀りしている霊場がありました。東洋のどこの国でも霊場は、たとえ山でなくとも山といい、多くの人が目指すことから、宿場町などが賑わっていたものです。 その五台山に登るふもとに一軒の茶店がありました。茶屋には商いの主人がいて、お爺さんかお婆さんがよく似合います。この物語の登場人物はお婆さんです。 この道は、多くの修行僧が一人一人と通う道だったのでしょうか、山に登るために、お茶を飲み、団子を食べて休憩するための場所だったのかもしれません。

 修行僧にとって、これから登る修行場に、あこがれや恐れ、気を引き締める場所でもあったのでしょうか、あるいは自ら修行した経験を確かめる場所でもあったのでしょうか、修行の深浅、動機など、一人一人秘めたものは違っても、尋ねて口に出る言葉は同じです。

 それは、「五台山に登るには、この道を行けばよいのですか?」と。

 それに対して、お婆さんは答えます。「驀直去(まくじきこ)」で、「真っ直ぐに行きなさい」です。

 そして、五台山に登ろうとするお坊さんがいよいよ歩もうとして一歩を踏み出したとき、お婆さんは再び言葉を発します。しかし、その言葉は、つぶやきのようなものだったかもしれません。

 「いいお坊さんが、またまた、このように行きなさるわい」と。

 禅宗に語り継がれているお話は、このあと、趙州(じょうしゅう)という老禅師が登場して、このお婆さんの真意を検証しようと、同じ道を修行僧として同じように出かけて行きます。 趙州が茶店に着き、お茶を飲み、「五台山に登るには、この道を行けばよいのですか?」と、修行僧たちと同じようにお婆さんに尋ねます。 お婆さんは、これまた同じように、「驀直去(まくじきこ)」で、「真っ直ぐに行きなさい」と、趙州に言葉を発します。趙州は茶店を出ます。 すると、お婆さんは、「いいお坊さんが、またまた、このように行きなさるわい」といいます。

 趙州は、自分のお寺に帰ってくると、道場の修行僧に、「わしは、五台山の茶店の婆さんの度量を、お前さんたちのために、点検し、見破ってきたわい」と、言います。

 この問題は、趙州という和尚の、「お婆さんを点検し、見破ってきたわい」の中身に狙いをつけて、修行僧たちを点検し、見性に導こうとするものです。

 しかし、今、お話ししたいことは、このお婆さんの発した言葉だけです。

 「驀直去(まくじきこ)」で、「真っ直ぐに行きなさい」です。何も他人から言われた言葉でなくても、自己に向かって発する言葉でもよいかもしれません。

 詳しく考えると、自己の発する言葉の、言葉を発する人は誰ですか、聞く人は誰ですかと、歩む人は誰ですかと、三役の自己が現れてしまいますが、このことは、ひとまず置いておくということにしてです。

 「驀直去(まくじきこ)」で、真っ直ぐに行きなさい。

 彼岸の中日のことでした。朝早く訃報が入りました。亡くなった方は、よくお話をしたかたで、考えてみれば、もう一年半も姿を見ていないことを思い出します。

 その一年半前の秋彼岸のことです、彼は、都心から郊外に引っ越しして行きました。そのとき、86歳ぐらいだったのではないかと思います。夕刻、お墓参りに来られました。

 いつもと違ったのは、古ぼけた手提げバックから、軽快なナップザックに、杖という出で立ちだったことです。もちろん、足もとはゆっくりと、それでも、言葉だけは、下町のお爺さんらしく早口で、はきはきしていました。墓参がすんで帰ってゆきました。

 そして、次の春彼岸のことでした。息子さんにお会いしたときです。父はあの日、迷子になってしまったのです。それでも、夜遅くになって帰ってきました。

父は、どうやら、電車を乗り過ごして、先の駅に降りたらしいのです。駅を下りて、真っ暗な町に迷って、ふと、やまとの宅急便の車が目にとまり、何とか頼んで、その車にて自宅に帰ってきたのです。 我々は心配して駅に迎えに行ったのですが返ってこないので、ひとまず家で待つことになって帰ると、宅急便の車が止まっていました。 父が乗せてもらって帰ってきたのです。それが最後の墓参だったのです。

 それから、一年の年月が経っています。ふと、「どうしているのかな」と思いながらも、今年も、春の彼岸を迎えた、お中日でした。彼の訃報を聞いたのは……。

 あの時、家族も心配していたのでしょうが、私は、必死に帰ろうとする彼の心境を思いました。きっと真っ直ぐに歩む一歩が、あやふやな一歩となり、焦り、戸惑い、しっかりしろと、自分が情けなくなったり、家族が恋しくなったりと思ったことをです。 その時は、86歳だったのでしょうか、老いて運動靴を履いても、足もとがおぼつかなくなりと、それでも、お墓参りにと通う姿に、一刻一刻と刻む時間に、足もとが止まります。

 この中国のお話しは、人の足もとを照らします、真っ直ぐに行けと、歩めと。

 曲がりくねった道も、行き止まりになっても、戻り道も、斜めの道も、逆さまの道も、それこそ、振り返ることも、立ち止まることも、嘆くことも、笑うことも、その一歩の歩みは真っ直ぐに歩むことです。考えてみれば、人は真っ直ぐに歩むことしか能がなく、歩むことが真っ直ぐなことに通じているといえるでしょう。

 訃報をいただいた前日、息子さんは、病院に泊まり、父の容態を刻一刻とつぶさに見つめながら過ごしたのでしょう。 父の真っ直ぐに歩む姿をです。きっと彼は、自分を理解してしてくれる息子に見守られて、さらに真っ直ぐに旅立っていったことを、「すーっと眠るように息が途絶えました」とい電話口で話された言葉に、思いました。



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