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終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



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誰がこの言葉を吐かしめるのか?
俺は何をしてしまったのか?

何て言葉を吐いてしまったのか?

何てことをしてしまったのか?

知らず出てくる言葉は、私に向かって言う言葉です。では誰がこの言葉を言わしめているのか、考えたことはあるだろうか?

そしてその問いを起こす私の心の中に、深く答えを求めたことがあるだろうか?言ったあとのことです。

言った私が、言う相手の私との自問自答に、私の中に二人の私がいて、主観(私)と客観(相対化したもの)という意味では、客観化された私が過去や未来を含めれば無数に存在してしまう矛盾に気がついただろうか? 

そんな疑問が生じたら、自分の心をのぞきながら、禅の問答を見てみよう。

先ずは禅宗の中国での初祖達磨(だるま)大師と二祖慧可(えか)大師の問答です。

《達磨に対し、心が静まらない慧可が、「どうか私に安心させて下さい」と問うた。達磨が答える、「その休まらない心を持ってこい、あなたと共に安心しよう」と。慧可は、「貴方に弟子入りして、長く心を探しましたが、何処にも見つかりません」と告げた。達磨は、「慧可と共に、安心したではないか」と答えた。》

大体問答は簡潔にして要点だけです。慧可の言った「長く心を探しましたが、何処にも見つかりません」の言葉は、原文では「心を求めるに不可得(ふかとく)」です。この「不可得」で悟った慧可。心コロコロ転がる心、探せば探すほど心なしか自分を見失いますが、その見失ったままの心はあるのだろうか?見失ったことに何が悪いのかとも考えられます。

黄檗(おうばく)禅師(臨済の師)という方は、「人は、不可得という空に落ちることを恐れるものだ。もともと心が空であることを知らず。愚かな人は、心で事(現象)を除いて心を除かず。賢い者は、心を除いて事(現象)を除かず」と、話されていました。

難しく考えることはありません。私の中には、自分でも想像がつかないほどの、素敵な私がいる。その私が最大限現れたとき、私の中の智慧や慈悲、下町では勇みや情けが現れるものです。

次に六祖慧能(ろくそえのう)禅師と南嶽懐譲(なんがくえじょう)禅師の問答です。

《懐譲が初めて慧能を訪問したときに、慧能は言った、「どこから来たのか?」。懐譲は「嵩山(すうざん)からまいりました」と。慧能が言う、「何ものが、このようにやって来たのか」》

この質問に対して懐譲は答えられなかった。そして8年後その答えをもって慧能に答えた。「一言でも言えば、当たらない。はずれてしまう」と。

なんと長い年月がかかったことでしょうか。

こんな問答もあります。
《達磨が武帝(ぶてい)にお会いした時です。武帝は達磨に、「私と対話しているものは何ものか?」と話しかけます。達磨は武帝に、「不識(知らん)」と答えたのです。》

達磨の伝えた禅は、自己を直視するものですが、どんな時代でも「花子さん!太郎さん」といえば、呼べば「はい。何か用ですか?」と答えるものです。

「知らん」や「言えばはずれる」では、まるで喧嘩をけしかけているような。でもこれはあくまでも禅の修行であり、自己とはと、究める真剣な修練です。

実は呼べば答える自己は、「はい。何か用ですか?」と無心(言えばはずれるものから)に答える私でもあるからです。

ではそんな心の中の不可得な私を、平常どう目覚めさせればよいのか?問答を見てみましょう。趙州(じょうしゅう)禅師の問答です。

《修行僧がお師匠様である趙州に質問します。「修行する者の自己を教えて下さい」と。すると趙州は、「そうかね。ご飯は食べたかな?」と僧に答えました。僧は、「はい。ご馳走様でした」と答え、それに対して趙州は、「それならお椀を洗っておきなさい」と。》

普段通りの会話?なのですが、この修行僧は、ハッとして悟りました。「この修行する学人の自己」という私が、その私のことを他人に教えを請うなど矛盾していることに気づかないものです。すでに、問いに答えがあるはずなのにです。

よく「私って、こうじゃないですか?」という会話、自分の嗜好や思いを私が他人に思い込ませ限定させ、アピールさせる会話をよく聞きます。

私が私の思いの中であえて狭めて、限定した自分であると、他人に知って貰いたいというその自己を見つめます。

その私は、もっと可能性を秘めた、自己とは自意識ではなく、働きや行為・現象によって生ずる自由なものです。そんな自己に対しての問答です。

《瑞巌師彦(ずいがんしげん)禅師は、毎日常時、私に対し「主人公」と呼びかけ、自ら「はい」と答えた。そして「目を醒まして。くらましてはならないぞ。はい!」と言っていた。》

これも問答あり、不可得な私に徹することを戒めるものですが、これがいかに難しいことか知らせてくれます。首山(しゅざん)という禅師は、私を「汚染させるな!」と語っています。

釈尊は、「成道して49年、一字(私という不可得な自己)も説くことができなかった」と語られています。

しかも、語らない山や川や海の「語り尽くす山雲海月の情」と私は見聞します。

二宮尊徳は「声もなく香もなく、常に天地(あめつち)は、書かざる経を繰り返しつつ」とも語っています。

最後は、維摩経にある言葉です。《本有円成仏(私の中の本来の完成された仏性)、何としてか還(かえ)って迷倒(めいとう)せる衆生となる。》

人は何時でもどこでも誰でも、何にも汚されない私(仏性)を持っている。それがどうして迷って顛倒(てんとう)した私となっているのか?と喚起させます。

妙心寺派元管長西片擔雪老師は言います。「迷いがない悩みがないということも、実は迷いなのです」と。

花が咲くのも無心、話を聞くも無心です。嬉しいも無心。心通わせ曇らせるも無心。


慈悲するうちは
江戸時代ですが、我々の大先輩の至道無難禅師の言葉に、「慈悲するうちは、慈悲に心あり。慈悲熟くすとき、慈悲を知らず。慈悲して慈悲知らぬとき、仏というなり。」という言葉があります。

この、言葉の論理こそ、お釈迦樣の悟りとして、ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念をもつことを現すものです。

この慈悲という言葉を様々に言い換えてみましょう。

「仕事して、仕事するうちは、仕事に心あり。仕事熟くすとき、仕事を知らず。仕事して仕事知らぬとき、真の仕事というなり」と、もっともその仕事が人をだますことや悪にたずさわって人を不幸にするものは「地獄」ということになりますので、要注意です。

日本国を例に取れば、「国するうちは国に心あり、国熟すとき国を知らず、国して国知らぬとき理想の国というなり」と。

「信仰して信仰するうちは、信仰に心あり。信仰熟くすとき、信仰を知らず。信仰して信仰知らぬとき、仏というなり」と。神さまや阿弥陀様や観音様に自己のすべてをおまかせできたとき、仏国土や神さまの心の中に包まれていることも知らない世界となります。

「勉強して勉強するうちは、勉強に心あり。勉強熟くすとき、勉強を知らず。勉強してして勉強知らぬとき、……」、これは何というのでしょうか、充実、生き甲斐、その時その年代の人生そのものでしょうか?

「人を愛して愛するうちは愛に心あり、愛熟すとき愛を知らず、愛して愛しらぬとき……」これは、人の痛みや悲しみが自分の痛みや悲しみとなって、きっとお釈迦樣やキリストのような存在となっていることに較べることができます。そのとき、決してウソ偽りや暴力差別などという言葉が無縁な世界や人生を生きるということなのでしょう。

いくつかの例をもって、「慈悲するうちは、慈悲に心あり。慈悲熟くすとき、慈悲を知らず。慈悲して慈悲知らぬとき、仏というなり」という至道無難禅師の言葉お言い換えを致しましたが、数多くあると思うのです。

「悩んで悩むうちは、悩みに心あり。悩み熟くすとき、悩みを知らず。悩みして悩み知らぬとき、悩みはなくなっている」とも考えられるのです。

「坐禅して、坐禅するうちは、坐禅に心あり。坐禅熟くすとき、坐禅を知らず。坐禅して坐禅知らぬとき、仏というなり」ですが、本人はもう仏も自己もない状態といえます。

自分を見て自分を観察しているうちは、自分に心ありです。自分が熟すとき、自分はいない状態ですが、仏といいます。

すべてに成りきれる自分という意味で、人の痛みや苦しみになり、釈尊仏陀の「衆生病むが故に我もまた病む」という心です。空になり、山になり、海になり、名も無い雑草や木々になり、自己の最も自然な状態といえます。

坐禅はなにもただ静かに坐っていることではありません。行為もまた禅というように、人のすべての行為もまた禅なのですが、慈悲しなければ、仕事しなければ、国しなければ、信仰しなければ、勉強しなければ、人を愛さなければ、悩まなければ、坐禅しなければ、扉は訪れもしないし、開かないのです。

菩提樹
釈尊の教えは、インドでの二祖摩訶迦葉から伝えられ、二十八人目にして達磨大師に伝わります。その達磨大師が中国に来られます。その法は中国で二祖、三祖、四祖、五祖に伝わります。

さて、その五祖は、跡継ぎとして、弟子達にテストをします。

その問題は、悟りの心境をうまく詩に表せた者を後継者と認めようとしたことでした。

先ずは、当初、五祖門下筆頭だった神秀禅師が壁に偈を書きました。

神秀の詩は、「気づいてみれば、私の身は、菩提樹のごとし、その心は澄み切った鏡のように写るものをそのまま写しています。だから、いつも澄み切った鏡が汚れたり傷つけたりしないように、塵やホコリをためてはならない」という内容でした。

五祖は認めず、それを聞いた六祖が神秀の詩をさらに奥深くする詩を書きました。

「もともと心には菩提も菩提樹もないし、清らかさや鏡というものもない。本来心自身は常に清浄であるから、いったい何処に心の塵などがあろうか。心が菩提樹であり、我々の身体そのものを明鏡台ともいえるのだ。明鏡も本から清らかで、その清らかな身体の何処に塵に染まるというのか」。

六祖のこの詩を、五祖が認めたので六祖となったと伝えられています。

六祖は悟った上での詩でしたが、神秀禅師は、ある意味私たちに修行とか、気づきへの方向を示してくれています。

悟りの心境とは、心の問題であり、人の人生の問題でもありますので、こうした観点から、自己の問題は、心とは対象とするものではなく、現実の有り様ということになります。

禅宗の教えとは、お釈迦樣の悟った心のことです。その内容は、ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念をもって表現するものです。

この無相にして無住、無念という悟りを、お釈迦樣は二千年前に、菩提樹の下で、悟ってより以降、生涯にわたってこの一心を伝え、今に語り続けてまいりました。

また無心とも、空とも、からっぽともいう、私たちの心の本来授かっている無境ともまた無性ともいえるものです。

しかも、この無性や無境という本来性を持っているからこそ、私たちは自由に変わることが出来るともいえますし、元々とらわれの世界には居ないとも言い換えることができます。


この心は相対するすべての世界を映す心です。無心となるが故にです。

私たちは自我の世界に於いて、私は私はと自我を認めて、自分の外に世界があり法則がありと錯覚している生活。仏教から見れば、それはすべて迷いです。

静かに、相対的な世界に心が動かされている自我の姿を観察してみれば、自我とは現象に過ぎず、もともと悟っているものの、現象をより所として生きている姿が自我というものだと見えてこないでしょうか。

そんな人が活きる一瞬一瞬の自己を、一つずつ悟って、自分のものとして、釈尊仏陀は、自らをより所としてと、宣言しました。この法をより所としてとも、宣言しました。この過程を修業と言います。この自らとは無心な自己とも言います。

何度も何度も書き換えて……

「単独でいる者は無にすぎない。彼に実在を与えるものは他者である」と印度の詩人タゴールは気づきました。

この世の中に、単なるモノ、単なる人はあるだろうか。

単なる太陽や月や星、雲や空、大人と子ども、笑いや喜び、驚きや悲しみ、痛みや寂しさなど。

東北の山や川や海も、単なる山や川や海でないはずです。人は自分の中にある山や川や海という景色の中に、自分を置くことができます。

このことは、様々な景色のなかに生まれ、景色の中に生き、景色のなかに死を迎えるものともなります。

その景色とは、そこに生きる一人一人の心に、取り込まれた東北の山並みは奥羽山脈南部の阿武隈の山々、奥羽山脈の山々、北上高地の山々、そして三陸の海にしても島々が散らばる景色、畑があり、水田があり、果樹園があり点在する家々の景色たち。

その景色は何処にあるかと言えば、人間にとっては、一人一人の心の中です。

しかも不思議なことに、私の心の中に写る景色に、いつも私は見ることができない事実に驚きます。

人間の目には、二つの目があることを考えただろうか、写すレンズのような目と、マナコという意識の眼、私の目に写る景色には、絶対に私はいません。私は写らないのです。その私は写らないことを思いつつ、写ったものは、私以外のものばかりと考えたことはあるだろうか、私はいないのです。そのいないことを自覚してみると、私は東北の山々そのもの、春にはその山々の芽吹きと共に私も芽吹くことで、春爛漫となり、やがて芽吹いた緑が山々をおおうことで夏となり、知らず肌寒さと共に黄金色の姿から朱く染まって秋となり、地肌を見せて真っ白な姿となって私が冬となります。

そんな山々を写している人間の歩みを、禅は、青山常運歩といい、青い山々は私の歩みと連なって歩んでいると表現します。山は動かないと私が思っていたら、私が山となって、空となって動いていると、しかも活発に動いて、私が寂しければ山も寂しく、悲しければ山も悲しくて大泣きするし、可笑しければ山も身体を揺さぶって大笑いするようにです。

すべては写す私がいないからです。

人は、その景色として生きることで、心の思いを育て、言葉にできないことを記憶しながら、自分自身を創り上げているものです。

 人は無心となれるが故に、花となって咲き、山となってそびえ、川となって流れることができます。

「単なる自然の世界は無宗教的世界である(無神論的世界と西田は書いています)」と言ったのは哲学者の西田幾多郎でした。 単なる私なんてあり得ないことですが、人は意識しなければ、その繋がりを見ることは難しいことです。

更に見ることが、もっと難しいことは、その繋がったということにこだわって、繋がりの中の各々は、繋がることで、分離し、独立するという意味が見えないことなのです。

世の中には、単なる自由や単なる独立などはあり得ないことです。繋がるということにおいて、人は、独立し自由を得るということを考えなければならないと思うのです。

みんな、つながっているから。



非連続の連続
  「ちいさなちいさな王様」という童話があります。アクセル・ハッケ作、ミヒャエル・ゾーヴァが絵を、奈須田淳さんと木本栄さんが共訳し、平成8年10月15日に講談社から出版されたものです。主人公は、平凡なサラリーマンをしている「僕」で、物語は王様との不思議な経験談です。

小さな小さな王様は、自分の誕生を語ります。
 「おれはだな、ある朝、ふいにベッドで目覚めたのだ。それから仕事をしに王子の執務室にいったのさ。実に、単純なことじゃないか。おなかのなかにいるだと?ばかばかしい!人生というのは、ある日起き上がって、それですべてがはじまるのだ」と。

 王様の人生は、それからどんどん身体が小さくなって、小さくなればなるほど知識も忘れて、やがて、老いが訪れるようになると、仕事もしなくてすむようになります。
 食事も誰かがくれて、頭の中には、忘れれば忘れるほどに、真っ白な自由が空間ができて、そこに遊びや空想で埋め尽くされるようになります。
 現実を何をして遊ぼうかと、何しろどんどん小さくなってゆくわけですから、禁則はなく、ビックリしても、驚いたり、怖がったり、笑ったり、大声を出したり、空の星々に名前をつけたり、雲と遊んだり、何をしてもかまわない大きな世界をもつことができる。

 人生経験が豊富という意味も、何かを詰め込むことではなく、ものごとを判断することでもないが、実に、世界がよく見えて、よく聞こえ、思いも無限大という世界に生きることができるからこそ、王様なのだろうというお話しです。

私がこの本を読んで最初に思ったことは、王様はある朝ふいにベッドで目ざめた時が誕生であり、それ以降は、どんどん小さくなって、その先は小さすぎてわからないということが、それでは、誕生もなければ、死もないということでした。 それは、別な意味で、まるで人間のようだと。

 それに朝目ざめた時は、目ざめた者にとって、誰にとっても、今日初めてのことであり、人生にとっても初めてであり、これは、夢ではない。 でも、人は、夜、夢を見ていながら、昼も夢を見続けていることに気づかないものです。私も。

 そこで逆転を考えれば、私が何やら夢見ているより、夢を見ている私というほうが、より現実的な私となることです。
行為の中の私こそ、現実的実体的な私と聞こえてきます。
  夢と現実という相反するものが、反するが故に結びつくとしたら、結びつくことで、分離するという現象は、夢を持ち続けながら現実を大切にすることで、結ばれたものが分離していると思えるのです。現実は夢を根拠にして、夢は現実を根拠にしてある姿に、大きな夢も、小さな夢も、夢に変わりはない。

 夢と現実の結びつけ方により、夢が夢でなくなるときがあります。
 というより、夢と現実が一つになるということなのでしょうが、夢は、現実のコツコツにあり、コツコツがなければ、単なる願望になってしまうし、夢がなければ、単なるコツコツでもあります。

 インドの昔話で、山火事で燃えさかる炎に向かって、1羽の小鳥がくちばしに含んだ水を落とす故事がありますが、その行為によって自己が成り立っている事実が尊いのだと教えてくれます。

 もちろん意味も大切です。夢も大切です。願望も大切でしょう。しかし、意味も夢も願望も絶した一瞬一瞬の行為がなければ、意味も夢も願望も消えてしまいます。
《僕(物語の主人公)と私は、似ているなと思った。二人とも、押しつぶされそうな現実から、逃げることも、受け入れることもできずにいた。大人になるという事は、夢を捨て、現実を見つめる事だと思っていた。
 でも、王様は、こう言った。
 「おまえは、朝が来ると眠りに落ちて、自分がサラリーマンで一日中、仕事、仕事に追われている夢をみている。 そして、夜ベッドに入るとおまえはようやく目を覚まし一晩中、自分の本当の姿に戻れるのだ。よっぽどいいじゃないか、そのほうが」と。 私はこの時、夢があるから現実が見られるのだという事を教えられたような気がした》と。

 「夢にあらず、現実にあらず、現実にして夢、夢にして現実」と、哲学者西田幾多郎氏は言います。「連続の非連続、非連続の連続」と。
  非連続は一瞬、時は今から今へと、非連続でありながら連続を形成し、形成された時の繋がりは非連続によってなりたっています。
 生きるという意味も、この関係に尽くされていると思うのです。

随縁行(ずいえんぎょう)
禅宗の中国での祖である達磨大師は、四つの実践行を説いてます。その一つが、随縁行と言って、縁に随うということでした。

縁起に随う、因果に随うということです。しかも、縁が変われば、因果が変化すれば、おのずから、自己も変わらなければならない。

この内容は必ず、一方通行ではなく、両方向の動きで、私が動くことになります。

その内容は、雨が降れば傘を、私がさすのですが、同時の内容は、雨が降ることで傘をさすことを強いられることでもあります。私が興味を持って何物かを選んだとしても、同時に、選ばさられたものとなります。歩くことも、走ることも、歩かさられ、走らさられと。

それぞれの人の、今日すること、今することをする、ということなのですが、同時に、これは、させられての随縁行でもあるのです。因縁に任せるとは、任せられるという、動かしながら動かされ、愛しながら愛される、結んでいるから分離していることを見てと。

仏教は、「世間的な成功や失敗は、すべて因縁によるのであり、自分の心そのものは何の増減もないから、喜ばしい巡り合わせも動かされず、暗黙のうちに真理にかなっている。それで、縁に任せる実践をすすめるのです。命にしても、縁に任せて現れ、消えてゆきます。

『随縁行』は、因縁に随順する行為であり、「万物が自から虚であり、縁起であるのに随順する実践となる」と言っています。

私たちの普段の現実の行為を見つめれば、含んでいながら含まれている。見守っていながら見守られている。包んでいながら包まれている。部分で在りながら全体である。結ばれているから独立している。

離れていても連帯している。選んでいながら選ばれている。失っていながら得たモノが有る。生きていながら生かされている。無心となっていながら満ち足りている。色即是空・空即是色。この矛盾する関係の中の、有り様の同時という視点こそが、揺れる心の無常世界を活きる智慧です。

そしてここから見えてくるものは、人は世界や環境の要素として含まれていると同時に、世界や環境を含んで人は存在するということなのです。

東北は、私たちが、いつものように、普段のままに暮らしていた、随縁行という生活、風景を一変させてしまった。

東北に山や川や海と、共に暮らしていた、それぞれの家々の中での普通の暮らし、当たり前の暮らしをです。

家々をつぶされて、ツナミに破戒され、放射能に汚染されてと、この犯した罪は、誰にあるのでしょうか。

七十年前に日本の各地が灰と塵になってしまったことも、それ以前に、アジアの国々を、結果として踏みにじったことも含めて、考えて見れば、歴史を詳しく観察してみれば、それぞれの時代の今に、見えていた、見えないものだったのではないか。

それこそ、三・十一以前の生活にとって一番大切なものが、私たちには、見えていなかったということなのです。選んで選ばれた、当たり前の場所で、当たり前に生まれ、あたり前に生きて、当たり前に死ぬという。


縁に随って、心法を忘ず
 「踏飜(とうほん)す七十九余霜、万事縁に随って心法(しんぽう)を忘ず」

 陽岳寺として、9月29日、部内(ぶない)のお寺さんでご不幸があり、葬儀に参列いたしました。

部内とは、臨済宗妙心寺派にとって東京周辺の区域を東京教区といい、陽岳寺は教区内の第5部に所属しています。

その5部は、江東区、墨田区、葛飾区、神奈川の三浦半島の一部を含むエリアに当たります。

 うかがった葬儀のお寺さんは、お寺からいえば、「となりのとなり」という近さです。

そして京都南禅寺僧堂の大先輩でもあることから突然の訃報は、「6月にお目にかかったときは、足の運びに不自由はあったものの、どうしたのだろう」と疑問が浮かびました。

 しかし疑問は浮かぶものの、現実として、亡くなったという重さが身に染みます。

 葬儀は、住職である息子さんの修業した鎌倉建長寺の管長、吉田正道老師でした。その老師の葬儀での引導の冒頭が、「踏飜(とうほん)す七十九余霜、万事、縁に随って心法(しんぽう)を忘ず」でした。

 79歳で遷化されたのですが、お寺を守ることを含めて、79年の人生はすべて所縁に随って歩んだものであり、その一歩一歩の歩みは自己を忘じての歩みだったと、禅宗の境涯をほめたたえたものでした。

 79年の人生を集約して「縁に随って」と、「心法を忘ず」という重みを、あらためて深く思い出します。

 修行の道場では、修行僧として365日、生活の中で所作の繰り返しにおいて学ぶのですが、すべては縁起の故の行為です。

その行為に、道場での師匠は、山門に至れば、食事をいただけば、食事がすめば合掌と。朝起きたら顔を洗い、食事をしたら食器を洗い、会社に行く。人と談じたら笑い、考え、按じて、愁い、祝いと。

不自由なものなど何一つないではないかと。心を外に求めるなと。

 さて、江東区では、今年の4月から、全小中学校に対して「学びのスタンダード」に取り組んでいます。

その内容は、前日に必要な学習用具を準備し、授業の始まりの時間を守り席に着き、授業の始めと終わりに挨拶をし、背筋を伸ばして姿勢で座り、声の大きさを考えて丁寧な言葉遣いをし、話している人を見て最後まで静かに聴きますと。

 名前を呼ばれたら「はい!」と返事をして、提出物の期限を守り、学年ごとに時間を決めて自ら計画を立てて家庭学習に取り組むことを、「学びのスタンダード」として実践し始めました。
 これらスタンダードの一つ一つは「縁に随って」であり、実践そのものが「心法を忘ず」となっているかと、自己への問いかけにつながっています。

 仏教で「心法を忘ず」とは、「無念、無心、自性、自己、心性、真人、真仏、真如、法身、仏、あるいは神」とも言い替えています。

 しかし、どうしてこんなに言い方がいろいろあるのかと考えれば、心法も法も同じ内容でありながら様々に言い方、呼び方が替わるということから、言ってしまえば、あるいは呼んでしまえば、固定的対象的なものとなって独立して戸惑いを誘うことから、本来は、「言えば違う」ということが正しい認識なのでしょう。しかも、認識すら認めることと考えれば、それすらも拒否するものです。

 その「縁起の故に空」と、「縁に随って心法を忘ず」を、うまく説明した和尚がいました。沢庵禅師です。

 不動智信妙録に、「かように心を忘れきりて、よろずのことをするのが上手の位なりといい、舞の例をあげて、舞をまえば手に扇とり足を踏む、その手足をよくせん、扇を能くまわさんと思うて忘れきらねば上手とは申さず候。

 いまだ手足に心が留まらば、わざは面白かるまじき也。尽く皆心を捨て切らずしてする所作は皆悪しく候」という。

 道元禅師から言わせれば、「仏法とは自己を習うことなり。自己を習うとは自己を忘るることなり。自己を忘るるとは、万法に証せらるるなり」です。

 古人は、これを「物となって見、物となって聞く」と、含蓄ある言葉として残しています。このことは「私」となっていないということです。

 縁に随っての行為の中に、第一人称の私が存在しないことを考えると、日本語の言葉遣いに共通するから不思議です。

 つい口にでた、「思うのだけれど」に、識者は、「誰が」と私を指します。そこで「私は、思うのですが」に、仏者は「私とは誰か」と問いかけます。その私は昨日の私か、さっきまでの私か、「今の私は過去の私ではないし、未来の私でもないはず」です。

 言えば違うことを考えれば、私とは、絶え間なく行為から行為する私であって、行為を離れて私というものはないはずです。

 行為によって私と規定される私こそ実体的な私であり、同時に、行為を規定する私ともなるのですが、この私は考えられた私となります。行為を離れて私はないことが現実の姿であり、時は今です。その今の私こそ、もっとも具体的にして個性的な私です。

時は今から今へと考えれば、対象的に捉えられた私は、先ほどの私であり、昨日の私ともなり、未来にいるであろう私となって、「作られたものから、作るものは(私)」、空の故に縁起となって、西田幾多郎により哲学された私となります。

 仏教は、昨日の私、先ほどの私、未来の私と考えるそこに、迷いの根源があると言います。行為し続ける一瞬一瞬に私があることを思えば、生き続ける、その一瞬一瞬に徹することは、自己を忘じて、生きろと肯定的です。

しかも、その肯定されたものは、否定的なものの裏付けによって成り立っていることが、具体的です。

 否定しなければならないのは、抽象的に思い描いたものは考えられた自己の独断、断ずべきは対象的に考えられた自己への執着であるのである。我々の自己が宗教的になればなるほど、己を忘れて、理を尽くし、情を尽くすに至らなければならない。

 道元禅師は、「明らかに行持(行為)の今は自己に去来出入するにあらず。然して、今という道は行持(行為)より先にあるにあらず。行持(行為)現成するを今という」。

 「行持(行為)によりて日月星晨あり、行持(行為)によりて大地虚空あり、行持(行為)によりて依正身心あり、行持(故意)よりて四大五蘊あり、行持(行為)これ世人の愛處にあらざれども、諸人の実帰なるべし」

 一切法は行持(行為)の現成にあるという道元禅師は、今から今へと見て行きます。絶対現在の自覚にあるということなのでしょう。

「万事縁に随って心法(しんぽう)を忘ず」と同時に、心法忘ずるが故によく縁起すると見えてこないでしょうか。

建長寺管長吉田正道老師は、引導の最後に、向上の一句として、碧巌録47則、雲門六不収本則に雪竇の言葉、「八角磨盤、空裏を走る」と修めました。

「心法を忘じ」た法身に、雲門は、「六根の一も立せず」、趙州は無と答え、白隠は隻手と。

万事縁に随って忘ず(無、隻手)は同時に、心法忘ずるが故に縁起であり、「八角磨盤、空裏を走る」です。

生老病死の山が迫ってくるとき、どうしますか?
久しぶりのブログです。

2日前ぐらいか、49歳のセールスが来ました。某証券会社だ。

その年齢は古株になっているという。

どこの会社も同じだが、高齢になった社員の数が圧倒的に少なくなっているのが今の多くの会社だのだろうか。

年金の制度がおかしくなるなも、こうした原因を考えてみると、加担している罪もあるのだろうな。

そのセールスが言った。

「親戚の叔母が亡くなったのだが、何本ものチューブにつながれて生きながらえる姿を見て、高齢者の医療を考えてしまった」と。

そして、「僕は、あの姿を見て、延命治療はつくづく罪だと思った。過剰な医療は施してもらいたくない」ですと。

「わかるな~確かにね。今、元気なうちはそうだ。今考えること、思うことは大切にしたいが、明日、思いは変わるし考えも変わるときがある。震災の時がそうだった。私は、その都度その都度という言葉になれているので、またその時考える。チューブにつながれたいっときの人世も、素晴らしい時間かも知れないから。」

命の歴史は、数えられない年数の歴史だ。

何世代、何十世代、何百世代、何千世代にわたって誕生した私ではないか。

誕生を、意識して生まれてきたわけではない。誕生に意味をもたせることが出来るのは、誕生後だ。

たとえ人の意識がなくなっても、考えることもできなくなっても、生きることは生かされていることと裏表だし……

夜眠っている時間は、記憶を造れない。その眠る時間は、因果に随っている時間でもある。

歩むことも歩かさられてのことだし、歩むことで時間も誕生していることを思えば、チューブに繋がっていることは生かされている時間となる。

かなり強引だが、どちらにしろ、人は生かされて生きるし、生きて生かされることに間違いはない。

医療とお金の問題は切り離して考えたいものだが、そうはいかない時代になってしまった。

選択の余地というと、自分が生きる場合だが、生かされていれば、選択はなく、流れのままだ。

しかも生きるといっても、そのつどの今のことで、時代に浮かぶ泡のような自分の意見かも知れない。

49歳で、叔母の90歳と比較すること自体が途方に暮れる。

49歳で、自分に潔さを決めたとしても、それは今のことで、自分が90歳になったときのことは別だ。


玄沙広録という禅の本にある公案だ。
問い、「生老病死の山が迫ってくるとき、どうしますか?」
師、「まさにピッタリと言い当てたな。」
「それを体験されたのですか。」
師、「お前さん、何を四つの山と呼んでいるのだ。」

今はブログを書いているのですが……

「鴨はたつ 鯉はより来る 柏手に 下女は茶をくむ 猿沢の池」
知り合いの家を訪ねた。玄関から上がって畳の部屋に通された。

その家の夫婦と話が始まる。

お茶を飲み、会話がはずむ。すると、これも小さかった頃から知る娘さんが部屋に入ってきた。

高校一年生になっている。

部屋に入ってきたと同時に、そのままクルリと帰ろうとする。

すかざす「どうしたの」と声を掛ける。

「私が並んで居る場ではなさそうだから」と答えた。

「エッ」と、出ていく姿に、時の経ったことを思った。

そういえば、少し前だったが、大勢大人たちが居る場所で、自分の居場所を構えて、自分の時間を持とうとする姿を見たことがあった。

大人とは、何だろうか?

自分で判断できるようになることか。

でも、それは自分の思い。

こんな古歌がある。

「鴨はたつ 鯉はより来る 柏手に 下女は茶をくむ 猿沢の池」。

坐っても良いし、ひるがえっても良いし、「よろしくお願いします」と言ってもよい。

鴨になってもよいし、鯉となっても、下女になってもよい。

とりがいるから
仏教の縁起からいうと、生かされていることの自覚は、同時に生きていくことを支えるものとして、この世界を、過去未来を含めた、生き続ける私として重々無尽の集合体として見えるかと、問いを発します。

谷川俊俊太郎の『~黄色い鳥のいる風景~ポール・クレーの絵による「絵本」のために』の詩となります。

とがいるから そらがある
そらがあるから ふうせんがある
ふうせんがあるから こどもがはしってる
こどもがはしってるから わらいいがある
わらいがあるから かなしみがある
いのりりがある ひざまずくじめんがある
みずがながれていて きのうときょうがある
きいろいとりがいるから すべてのいととかたちとうごき
せかいがある

私とは、私たちとは、そして世界とは、あらゆるものが現実に交差して繋がっていることを現しています。

そして気づいたことがあります。

もし、この言葉の連鎖の中の、たった一つでも、嫌いだと、必要ないと削除したらこの詩と、この世界は、成り立たなくなることに気づくでしょう。

このことは、谷川俊太郎だけでなく、私たちも同じように、自由自在に結びつける自由な存在のあかしであることをも示しています。

そして、自由自在に結びつけることによって、鳥や空、風船や子ども達の笑い、悲しみに祈り、地面に川、昨日と今日、黄色い鳥と、実は独立したものとなっていること気づかないでしょうか。

結びつけることで分かれて、この世界から空や風船を取り出すことによって、結びついていたと……

あるがままに、思うがままにある現実の世界も、実はこの詩と同じだと思えないでしょうか。

普通の家庭にあっても、夫婦から、赤ちゃん誕生と同時にご両親も誕生した事実に気づかないものです。

家族が誕生する。家族に結びつけるには、ご両親と子供に分かれなければ家族にはならない事実をです。

世界に命を吹き込む達人として、谷川俊太郎は、世界を、紙面に産みつけますが、現実には世界の構造を、私たちに知らしめてくれたとも言えます。

単なる空、単なる鳥はあり得ません。

鳥は空があることにより鳥であり、その空に風船が浮かぶことで、子供が走ります。

その子供のあどけない走りを見て大人を笑いに誘います。

「~黄色い鳥のいる風景~」に命を吹き込むのは現実の事実です。

そして現実の繋がりの広さと奥行きは、色と形から、世界へと広がります。

命の吹き込み方の達人は、さらにキャンバスを大きくし、小さくし、せつなくし、喜びへと変えてゆきます。

あくまで事実の構造を、文字で並ばせながら、あるがままに表現していると言えないでしょうか。

世界の構造をです。

平等というキャンバスに、差別という鳥や風船、空を描きながら、世界を描いてしまったとも。

世界は平等と差別が相反することなしに、差別があることによって平等が成り立っていることも事実の世界です。

無心というキャンバスに、有が貼り付けられる。

無は有を含んで、有は無を含んで、同時に成立している事実に単なる有はなく、単なる無もない。

仏教は、この世界を法界と呼んでいます。

その法界の世界から、風船や子供、笑いや祈り、一つでも削除してみれば、世界も成り立たない事実。

これは、同時に風船や子供、笑いや祈りの一つ一つが、実は、「~黄色い鳥のいる風景~」の作品全体を担っているという事実です。

各々が一部でありながら、全体を担っている構造。

家族の一人一人にしても、子供やご両親、孫たちも加えて、その一人は、部分を担っていると同時に、全体の家族をも担っているという事々こそ、世界といい、家族といい、地域といい、日本といい、世界という一を表します。

その一に結ぶことで、同時に一つ一つに分離する事実、仏教の縁起は、この事実を知ることことです。

そこに世界がある。