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終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



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いいなあ結婚式
1911.4.28、陽岳寺において仏前結婚式がおこなわれた。

そのしおりが、突然(ちっとも突然ではないのだが?)、本のページに挟まって出現した。

その内容は

開式し、般若心経が読まれた。

その廻向は、意味を生きる智慧を成就せしめんことを……と二人して生きる智慧をとある。

次に敬白文だが、出会いが導きと変わることで……転ぜられて転ずる生き方となり自在な変化に対応して活きることの祈りだ。

帰依三宝・受戒だが、日月の何時も輝いているが如くと……自己の光明を大切にすることが誓った。

数珠の交換には、素直さをいつまでも持てるようにと、帰依三宝と受戒の精神を形にした。

次に誓詞として、選び選ばれて私たちは今と、旅立ちとして

そして焼香をすることで、薫りに包まれて、心をつねに新たにして

寿杯は、夫は妻から、妻は夫から支えられていることを忘れないと……夫婦の根源は、互いの根拠によって成り立っていることを自分のものとした。

四弘誓願の最後として、いつもっころを謙虚に保って、すべてを敬えるようにと願った。

皆の前でおこなわれた式の内容は、立ち会ったすべてのひとを含んでいる。

生きる智慧として……

そうか、3,11の半年後だったのかと、思い出した。

本の中に閉じられて、また仕舞っておこう……

彼岸

『大智度論』というお経に、こんなたとえ話があります。

ある男が、使いを頼まれて遠くに旅びだって行きました。ある日のこと、夕暮れに古い空き家を見つけ一人で泊まりました。

夜が更けて、一匹の赤鬼が、人の死体を担いでやってきて、彼の前に置きました。男は動くこともできずに、震えていました。しばらくすると、もう一匹、今度は青鬼が急ぐように、やってきて、赤鬼に怒ってどなりました。

「この死体は、おれのものだぞ。なんで、おまえが担いでくるのだ!」

すると、赤鬼は、「これは、おれさまのものだ。おれさまが自分でもってきたのだぞ」と。

青鬼は、言い返しました。

「この死体は、じつはおれが担いでたもんなんだ」と。

二匹の鬼は、死体の手を一つひっぱりあって、争いました。

なかなか、決着がつきません。すると、赤鬼が、言いました。

「ここに、人がいるから、聞いてみよう」

青鬼が、人に聞きました。

「この死体は、誰が担いできたんだ?」と。

そこで、その人は心の中で考えました。

「二匹の鬼は、力が強い。ほんとうのことを言っても、殺されるだろう。でも、嘘を言っても殺される。どちらにしても、殺されるなら、だったら嘘を言って何になるだろう。」

そこで、人は青鬼に言いました。

「赤鬼です」

青鬼は、大いに怒り、その人の腕を引っこ抜いて地面に置いてしまいました。

すると、赤鬼は、死体の腕を一本抜いて、この人の腕の、ちぎられところに、くっつけたのです。

青鬼はさらに怒って、赤鬼はくっつけてと、こうして、つぎつぎと、両腕、両脚、頭、胸、腹、全部とりかえてしまいました。不思議な話が世の中に多い。

この後、二匹の鬼は、とりかえた死体を一緒に食べ、「ああうまかった」と、口をぬぐって立ち去って行きました。

一人、空き家に残された人は、不思議なできごとに、こう思ったのでした。

「お父さんやお母さんからもらったこのわたしの身体は、目の前で二人の鬼に食べられてしまった。

ところが、次々に赤鬼によって、私の身体は継ぎはぎのように、死体の身体で再生されてしまった。

いったいわたしの身体があるといったらいいのか、ないと言ったらいいのか。もし有るとしても、他人の身体である。ないとしても、今現に身体はあるのだし」と。

こう考えて、心が混乱して、解らなくなってしまいました。

 翌朝のことです。その空き家から出て、目的地である国の町につきました。

仏塔があり、多くの僧侶が集まっているのをみて、その僧侶たちに尋ねました。

混乱して解らない人は、ただ、余計なことを何も言わず、ただ、「わたしの身は有るのでしょうか、ないのでしょうか」と。

僧侶たちは、「あなたは、どこの人ですか」と尋ねたのでその人は、「わたしは、自分でも、自分なのか、自分では無いのかわからないのです」

と答えました。

そして、僧侶たちに、詳しく旅で起こった、できごとを語りました。

僧侶たちは言いました。

「この人はみずから、無我を知っている。簡単に悟りに至れるかもしれない」と。

そして、この人にこう言ったのです。

「あなたの心も身体も、もとからずっと無我だったのです。たまたま今悟ったわけではありません。

ただ、地水火風という四つの元素が結びついているので、『わたしの身体』と想定しているだけなのです。あなたの元の心も身体というのも、今の心と身体と何ら変わるところがありません。」と。

僧侶たちは、この人にお釈迦様の説いた内容を伝え、仏道に入らせました。その人は、仏道をおさめ諸々の煩悩を断じて、阿羅漢(あらかん)という位を得たのでした。

この話を聞いて、「やはりこの、頭を含めて心や身体は、私の身体でいて私のものではない。だけど、こうして歩くことも話すこともできるのだから、私のものではないのだが、私のものだ」という矛盾によって成り立っているといえないでしょうか。

「現実には他人の体と頭になっているにかかわらず、私のものと、私のものでないものが、矛盾を媒介として成り立っている私と言えばよいのでしょうか」。

赤鬼と青鬼の物語の、以前の身体や、取り替えられた心と身体とするなら、私の身体とは頭とは、そして心とは何のでしょうか。

 

妙心寺のホームページに、お釈迦樣の悟った心とは?とか書かれています。

その内容は、禅とは、心の別名であり、「ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念をもって表現する」ものです。

「これを本来の心の在り方とでもいえばよいのか、私たちの心は、もとより清浄な「本来の心の在り方」であるにも関わらず、他の存在と自分とを違えて、対象化しながら距離と境界を築き、自らの都合や立場を守ろうとする我欲によって、曇りを生じさせてしまうのです。」

「正確には我欲のままにならないということですが、無相・無住・無念という心の在り方には、何ものも世界のあらゆる森羅万象を映す働きがあります」と書かれています。

その働きの最大の特徴は、分け隔てなく映す働きです。

 自分のという捕われを無くした心にとっては、もはや、他者や自己はありません。その状態を彼岸と呼びます。

 その彼岸は、自己や他者が無くなったものには、此岸や彼岸ないのですが、実は現実世界という世界そのものなのです。気がつかなければ、此岸と彼岸は、いつまでたっても別々に対峙しているままです。



悪の連鎖
西洋的な考え方の根柢には、悪を理解されるものより悪を排除しようとするという考え方のようです。

このことは、逆に悪を理解しようとすれば、かえって悪に新たな力を付与し指示することに繋がると考えられたようです。

仏教も善と悪とを区別はするのですが、その悪を絶対的に悪とは結論付けはしません。

マーラ(魔=悪)は、自己と別の人物ではなく、自分自身の仮の姿であって、自己を誘惑し裏切ろうとする自身の内面的な傾向性ということが、仏教の理解や考え方です。

仏典が描くマーラは永遠の存在でもなければ、生まれる前から、死んだ後もずっと悪であるわけでもないのです。

ブッダの主要な弟子の一人、モッガラーナ(目蓮)はマーラに誘惑されて次のように言って退けた、という話が残っています。
「おまえ(マーラ)が成功するはずはない。私はおまえのすべてのトリックを知っている。なぜならば、私自身が、かつてはるかな昔にマーラであったからだ。
そのせいで私は地獄で8万年の間つらい思いをしなければならなかった。だからおまえも仕事を変えたほうがよい」と。

仏典には、殺人鬼が聖者としてよみがえる話がありますが、本来的な悪などあるはずはなく、壁は内にあることを先ずは認めて、目的にあった方法を探すことが勧められています。

その手段として、悪と闘うに悪を以って手段とすれば、自分自身を更に悪へとしてしまいます。

ダンマパダには、「怨みによって怨みが止むことはない。怨みの相対するものによって怨みは止む。これは永遠の法である」と。

その怨みの反対とは、何だろうかと考えてみれば、智慧と慈悲に行き着きます。

結局、一人一人が、智慧を得て、慈悲を目覚めさせなければならないのでしょう。

世界のいさかいの連鎖が止まるようにです。

決して、宗教がいさかいの連鎖を、勃発させ、助長してはならないと考えています。

8月15日、旧盆に
《「単独でいる者は無にすぎない。彼に実在を与えるものは他者である」と印度の詩人タゴールは気づきました。

この世の中に、単なるモノ、単なる人はあるでしょうか。

単なる太陽や月や星、雲や空、大人と子ども、笑いや喜び、驚きや悲しみ、痛みや寂しさなど。

東北の山や川や海も、単なる山や川や海でないはずです。

人は無心なるが故に、花となって咲き、山となってそびえ、川となって流れることができるではないですか。

「単なる自然の世界は無神論的世界である」と言ったのは哲学者の西田幾多郎でした。 

単なる私なんてあり得ないことですが、人は意識しなければ、その繋がりを見ることは難しいことです。

更に見ることが、もっと難しいことは、その繋がったということにこだわって、繋がりの中の各々は、繋がることで分離し独立したという意味が見えないということなのです。

世の中には、単なる自由や単なる独立などはあり得ないことです。繋がるということにおいて、人は、独立し自由を得るということを考えなければならないと思うのです。

みんな、みんな、つながっているから。》

インドに、昔から伝えられている話があります。

《青い海に、群れをなして魚たちが泳いでいました。その中に、すばしっこく、泳ぎの達者な、魚がいました。

好奇心旺盛の、若い魚です。その魚が、一緒に泳いでいる仲間に、尋ねたのでした。「世界のどこかに、果てしもない海があるという。

こういう話を、聞いたことがあるが、その海って、いったい何処に、あるのだろうか?そんな海に、出会ってみたいものだ」。

仲間達は、いっせいに、口をつぼめて、泡を出しながら、言いました.

「ここにいる、我々みんなも、果てしもない、海のことは聞いたことがある。だけど、何処にあるかは知らないし、わからない」

年老いた魚が、そのはなしを聞きつけ、若い魚を呼び、教えてあげました。

「お前たち、よく聞けよ。お前たちの話しの、海とは、今、わしらが泳いでいる、この海じゃ。

わしらは、その海の中に、住んでおるのじゃ。世界は、どこもかしこも、海ばかりじゃないか。

わしらは、海の中に生まれ、海の中で暮らし、海の中で、死んでゆくのじゃ。

わしらが、今泳いでいて、そして、暮らしている、これが海じゃ」》と。

鎌倉、円覚寺の朝比奈宗源老師は、この物語から、この海を、仏の心と書いて、仏心として書き改めました。

「仏心のなかに生まれ、仏心のなかに生き、仏心のなかに息を引き取ること」と。

陽岳寺はさらに、仏心という字を、尊さや、家族、慈しみの心とさまざまに替えて読んでみてもよいのではないかと提言いたします。

安らぎや穏やかさを発見する場所としてです。

また海を、個人の命ではなく、大きな生命と読み替えてみれば、残されたもの の命とも言い換えることができます。


貴方は、貴方たちは、どうでしたでしょうか、家族の中に生まれ、家族の中に生き、家族の中に息を引き取る。

さらに、命の中に生まれ、命の中に生き、命の中に息を引き取ることを思い描いてみれば、命の中には、比較するものはあるでしょうかと問いを持ちます。

慈しみや、智慧の中にも比較するものはありません。

年代の移りゆく中で、その時々の家族の中、命の中、慈しみの中に、貴方は、息を引き取ったともいえるのです。

さらに、尊さ、自然、仏心と、言葉を変えて読み替えることをすすめます。

それが仏教のものの見方だと、思っています。

生前葬
4月6日(土)に、また生前葬をした。

まだまだ元気なお年寄りの女性だ。孫たちと子ども達を囲んでの生前葬だった。

仏壇には、「この日ばかりは、少し華やいだ色花を飾り位牌と写真を置いただけだった。

そして後日だったが、喪主であり、生前葬を執行した本人は、ニコニコと「スッキリしました。有り難うございました」と挨拶に来られた。

「何てったって、お葬式をしたんですから。後は悔いなく元気に生きて下さい」と、不思議な挨拶を交わすのです。

以前にも生前葬をしたことがあった。

そこで思うことは、まだ数は少ないが生前葬をする人には理由があることを知った。

例えば親の死に目に会えなかった、親の年齢を超えた、夫婦の片方を早くに亡くして長い年月を経過したとか、一人暮らす身となってどうせなら死ぬ前に自分だけの葬儀をしたい。

理由は様々だが、誰にも迷惑を掛けずに、自分の葬儀を生きているうちに見届けたいと。

その気持ちに答えて葬儀をするのだが、準備に時間がかかる。

何度も本人と打ち合わせをして、内容を考えながら、その時を迎えるからです。

時間に余裕があるのです。余裕があるぶん、かえって「あれもしたい。これも考えたい」と、考えることが多いのです。

3ヶ月前から数年という場合もある。長い場合は「それまで元気に暮らさなければできませんよ」と妙な声掛けをするのです。

場所はホテルだったり、お寺で年回に続いて生前葬をしたり、きっと場所はそう問わないのだろう。

何しろ元気でなければできないということが味噌だ。しかもこれは楽しいし、ドキドキと心はずむことでもあります。

会葬者と言えばよいのか、こられた方々も興味津々楽しいし、その後は、「もうお葬式はしてしまったのですからね」と。

これを何と表現すればよいのか、終点を通り越して走る電車、なんてあり得るのだろうか。

終点を過ぎての行く先とか、そこまでの航路をどう歩むのか、何てたって、時間はわからないのだから。

これは真面目に自分と向き合って考えなければならないでしょう。

葬儀とは生を捨てることですが、生前葬については、死んで生きることを決断することなのでしょう。


釈尊仏陀は、 「わが齢は熟した。わが余命はいくばくもない。汝らを捨てて、わたしは行くであろう。わたくしは自己に帰依することをした」と。

釈尊ブッダの、「自己に帰依することをした」の言葉に、過去、これほどの言葉はあっただろうか。

普通考えれば、自己とはそんな確たるものではなく、信念や見識、主張があったとしても、変化する時代の流れの中で培われたものです。

そんな自己に帰依すると言う言葉。

まさに死に逝く釈尊の最後に放った言葉として、こんなに重い言葉はないと思っています。

老いの中に節目を持ち、何かしらの理由で自分は終わってもいいと、し尽くした。

しかし、どろどろとしたものをまだ持ちながらも、葬儀をすることで、けじめが生まれ、釈尊のように故郷に帰る行程を踏むことが容易となる。

孫たちは言うんです。「うちのグランママは、お葬式は済んでるからね」


私にとって実感はないのだが、直葬が増えているという。

毎日新聞は、終活と称して、最近の葬儀事情をルポしていた。

新聞には、『直葬は(1)自分が決める(2)遺族が決めるの二つのケースがあるとも知った。

言い換えると、(1)能動的と(2)受動的、あるいは(1)する型と(2)される型があり、最近は遺族が決めるという割合が増えている』とも毎日新聞に書かれていた。

その新聞の記事によれば、『自分の店じまいは自分でやりたい」、「子供に迷惑はかけたくない」という気持ちが強く働いて、直葬を希望する人が増えてきた』という。

自分が決める、誰かが決めるも、決めることに変わりはない。

他人と比較しようとは思わないのだけれど、子供として、自分の両親すらお釜に直行させることの痛みや悔いはないのだろうかと、寂しさがつきまとう。

従前だったら、社会で当たり前のこととして決まっていた。

仏教は、そのことを因果随順といっているが、その方が異論もなく人にとっては楽なことだった。朝起きたら顔を洗うようにだ。

赤ちゃん誕生から、人は節目節目に、何かしら祝い事を継続して行ってきた歴史がある。

定年になって「ご苦労様でした」と、少しのご馳走にビールでささやかな夫婦の乾杯もあっただろう。

それってごく普通のことだし、当たり前のことです。

どうして死だけがこんなことになるのだろうか?終わりよければすべて良し、何か誕生まで否定されてしまうような……


もう20年以上前だと思うが、葬儀にかけるお金がない檀家がいました。

「私が行くことで負担を掛けるなら致し方ない、そのかわり、お願いがあるのだが、私が手紙を書くので、出棺の前にその手紙をみんなで回し読みして出棺して下さい」と、伝えた。

アパートの一室の中央に母を安置して、子ども達が集まり、出棺の前に、その手紙をみんなで読み、子ども達だけで葬儀をして、旅立っていきました。

納骨の時、「良い葬儀でしたか?」と聞くと、目を潤ませながらうなずき、「有り難うございました」と、言われたことが強く印象に残っています。

その時、葬儀には家族のその都度の適した様々な形があってよいことを知らされました。

お経は読まなかったのだ。

因果随順とはいうものの、もともと一定の形にはめることの違和感もある。

赤ちゃん誕生から死まで、単に一人で生きてきた人は、誰もいないはずだ。

それでも一人なら、自分の葬儀を、自分一人で聞くの楽しいかもしれないのです。

生前葬をした人は、不思議に長生きなのです。

そして2年が経過する
2011年3月11日、東日本大震災が起きた。未曾有の出来事に、陽岳寺としては、毎回の法事に震災をテーマに法要を続けています。

最初は、特定の個人への廻向ではなく、必ず震災で亡くなられた人たちに対して忘れないという思いを込めて廻向をすることに、違和感がありました。

ですが、今ではごく自然のこととして、受け入れられているようです。

それは、個人の家の中では、こうした法要に参加することは少ないことと思うことと、普通の日本語で展開する法要に出会ったことがないからと思うからです。

さらに思ったことは、お経を今・ここに生きている人に対しても、強烈に意義のあるものだと考えていただきたいと思ったからでした。
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このお経は、私たちを含めて世界の一切の成り立ちを説いたお経です。縁という結びつきと、その結ばれ方を説いたものです。だから、生きている人も亡くなった人も、未来に生まれる子供も、世界を含めて説いています。

東北地方太平洋沖地震と津波の影響で、この世と引き裂かれて亡くなられた方々、今も多くの悲しみを秘めた心から苦しんでいる方々、未だにどうしてよいのか立ち直れない方々、そしてあれからずっと時が止まった方々、その方々のために今も「忘れない、東北!」という思いが寄り添うことになると思っています。

今も避難している方々、除染、復興にたずさわる多くの方々、津波にも地震にも被災しなかったけれど、痛みとして心がふるえ、見守ってくれる方々。その方々のために、今も「頑張れ東北!」という思いが必要と思っています。

もちろん、今日の法事の主人公として、あなたに感謝を捧げるとともに、ご冥福を祈るためでもあります。

さらに、本日参詣された家族のためにも、ご多幸、ご無事、ご健闘を、般若心経にて、お祈りいたします。
 ………………………………………………………………………………………………………………………………
さて、あの日があり、翌日のことでした。何ができるだろうかと咄嗟に考えました。

新命住職に、「法要として、何かしなければならない」と伝えました。

新命住職も、共鳴して深く心が痛み、何ができるだろうか考え、「ただ生きる」ことを願いとして、そして「つながっているぞ」を希望として法要の中身が、あっという間に作られました。

それ以降、2年が経ち、毎月のように新しいテーマを探し、月に改訂を繰り返し今日に至っています。

お寺の歴史の伝承は、廻向の伝承であるとも思い描いていました。しかし、今は、特に3.11以降は完全に自分の中で砕けました。

神社の祝詞の中で「鎮めたまえ。鎮めたまえ。」と聞いているうちに、日本の歴史から「鎮めたまへ」しかない意味を考えていました。

いい言葉だなと。

もちろん仏教の廻向の中には、護国安泰、豊作祈願、平和を唱えます。

ですが、自分の中では、その言葉が漢文あるいは訓読という様式化で人に伝わらない日本になってしまっているのです。

従って、法要の中身も形式化してしまって、幾度となく聞いていても、耐えられなくなっているのではないかと、子どもの様子に気づけばなおさらです。
「もう終わった!」と……

今年も法要の結びとして、『神々、佛、菩薩たちへの祈り』の廻向を唱え続けます。

在ることも、無いことも神々の愛そのものとするなら、その愛は縁起そのもの。
在るものを在らしめる神々よ
在るものを無さしめる神々よ
無いものを在らしめる神々よ
無いものを無さしめる神々よ
空や山や川や海を、穏やかに安んじたまえ。
町や建物、生きものたちの暮らしを平安に導きたまえ。

少しでも、東北が元の姿に近付くことを願っています。

体罰
しかられて喜ぶ、けなされても嬉しい、たたかれても向かう気が起きなければ道場では過ごせなかった。

逆に無視されては頑張った。思うに褒められたことなどなかった。

私が修行した時代、禅の道場ではごく普通の日常だった。

師は自己に厳しかった。とてもじゃないが……師の人生の全てを賭けて生きている姿で対してくれた。

だからこそ、師を誇りに思ったし、仰ぐ存在だった。

そういえば、修行道場では誰が優れていて、劣っているという比較は皆無だったことに気づく。

それぞれに具わったている能力とか、分に随っての畳一畳の世界を与えられていたのだ。

道場を去るときに、師から云われた。しかもコンコンとだ。

「道場に準じた日常として過ごせればよいのだが、そうでなかったら、ここでの暮らしを考えながら精進しなさい」と。

師が、道場を去ることで案じてくれた言葉だった。

去ろうとしたときの師は、仰ぐ存在には変わりがなかったものの、慈しむもの、壊れるようなものになっていた。
それは道場で修行した期間すべて、師の全てを注いでくれた時間であり、これから独り歩む杖となる時間であった。

修行の道場のように共に暮らして、共に同じものを食べての師など普通いない。

学ぶという教育において、絶対に学ぶだけでは手にできないもの、それは人格ではないかと考える。
それは人と人とが大袈裟だが命がけで相対してこそ、移ったり、生じたりするものとしてだ。

それの実体は何なのだろう?

体罰をもって子どもの能力を伸ばそうとすることは、逆に、その先生の能力の欠如を表すものです。
先生により傷つき、心に矢が刺さった子どもから出る能力があるとしたら、それは何で、どこからだろうか?

人格と云ったけれど、その人格という意味を持つものなどあるのだろうかとも考える。

私にとって師の人格とは何だったのだろうか考えると、師の全てをさらして、投げ出した末の謙虚さだったのではないかと気づいた。

師弟においても、仕事において上司の関係においても、弟子を認め、部下を認めるという基盤は、師の先生の謙虚さだ。

思いだけでは押し付けになり、負担になる。ましてその思いから体罰では、人を認めたことにはならない。

認めることに於いて人格は成り立つ。

人格は、他の人格に対して人格となるともいえる。

人格とは、思いではなくて、謙虚さだ。

昨夜妻と見た映画、キリンの翼が同じことを語っていた……

小さい秋
「お早うございます」と、道路を掃いていると、知らない人から声を掛けられる。
「ほんの少しですが、過ごしやすくなりましたね」と、こちらから声を掛ける。

「日中は、今日も暑くなりそうですが、これは”小さい秋ですかね”と。

詩人のサトウハチロー氏は、原稿用紙を前にして、布団の上に腹ばいになり、詩を書こうと模索していたのだろう。
ふと、外を見たら、赤くなったハゼに秋を感じて、この詩を書いたという。

小さい秋 小さい秋」と、自分を呼んでいるかのようなモズの声。目隠しをして遊ぶ姿が浮かんだ。

次に見つけた小さい秋は、曇りガラスの戸の隙間から秋の風の気配だった。それは北風による秋の気配だ。

次に見つけた小さい秋は、思い出なのか、そいうえば、 子どもの頃に見た 風見の鳥のその鶏冠(トサカ)は、庭先で秋の訪れを告げるハゼの葉のようだ。そのハゼは 入り日を浴びて秋の気配を一層増している。

この季節の変わり目は、誰の姿にも訪れている。面白いのは「誰かさんが、誰かさんが見つけた」と。

夏が暑くなった。まるで季節の変化がゴチャゴチャになっているかのようだ。それでも、四季がある。

四季があるから、変わり目がある。都会にもだ。

とぼとぼと横断歩道を去って行くお婆さんの姿に、早朝の過ごしやすさが、秋からの大きなプレゼントだ。


一人になってしまったが、独りではない。
今日の午後、よく知る彼が墓参した。

ちょうど法事が終わった後だったが、彼は、話さなければならないことがことがあった。

それは、地方に嫁いだ姉が亡くなったことだった……

その姉は、高く遠くにも聞こえる声で笑顔を振りまいて話す人だった。

「ご住職!」と声が聞こえた。

彼女は笑っていた。

思いだして見ると、笑顔だけが記憶にある。彼女の母も笑顔が似合った人だった。もう2年近く会っていない。
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私を早く連れてって!
それは、小さな声だった。
「私を早く連れてって!」
しかも、2回も言われた。

防災訓練の日だった。冬だというのに、日が照って暖かな日だった。
80名以上の人たちが参加した。
起震車やけむり体験、心臓マッサージAED操作、災害用機器の説明、安否確認訓練、非常食の試食と。
みんなで、1ヶ月以上かけて準備したものだ。

消防署に消防団、小学校がかかわり、大勢がかかわった。気も少し張った。
挨拶もした。
試食しながら、試食場所に「美味しいね、結構いけるよ。あっちあっち」と人を誘った。
署長さんも、最初の挨拶から最後まで、丁寧に大勢に接してくれた。
消防団は、消防署の手伝いといいながらも、地元に溶け込んでくれた。
絆を結ぶとは、日々、繰り返し姿を見せることだ。

この集いの中、幸せの姿が見えないひとがいた。笑顔だったが。

「私を早く連れてって!」

そんなに悲痛の声には聞こえなかったが、あちら側とこちら側を描いている老いた人がいた。

日々に変わる老いの現実と言おうか、あちら側がひそんでいる。
別段気をつける必要もないし、隙を見せる覚悟も必要もない。

鬱か?

そうも見えなかったが、現実は、淡々すぎる日常もないはずなのに、よくよくそう見える。

自分を見つめすぎることもよくない。

夫を亡くして、何年経つのだろうか、何十年かも知れない。
黒い大きな犬を飼っていたが、もういないのかもしれない。

一人暮らすと言っても、二世帯住宅だし……
人のよい、本当人の善いと言う言葉がピッタリの夫婦だった。

電話をしてみようか?投げか掛けられた言葉が波紋を広げるのだ。