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終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



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集団的自我
 最近、つくづく思うことがあります。

 世界のいがみ合うことのニュースがあり、宗教や主義として原因があり、それが正しい、いや違うと戦火をまみえテロとなってにぎわうように思えるのです。

 世界という点から見たならば、人々のやすらぎを、死者の安寧を願い祈るものならば、世界の宗教も、もともと一つのものではないかと見えるのです。

 仏教からいえば、今残されている仏教の宗派を興した祖師たちも仏教である限りは、お釈迦樣が悟った法、あるいは語り得ないものから、それぞれが選ばれて語られて特色とされたものです。
 それは過去の時代からいうと、信者からいえば利点といえた時代だったような、遠慮しがちに、そんな気がするのです。

 宗教は世界の一人一人の苦しみを見つめますが、国や地域、民族、国、主義、正義、あるいは宗教自身も、集団的自我をもっと見つめなければならない時代にはいっているのではないでしょうか。

 そして集団内の一人一人の生を見つめ、相対する思念を解きほごしての幸せを求めることが必要なのではないでしょうか。


35年ぐらい経ったかな
 振り返って見れば、住職になって35年ぐらいたつのではないか……

 副住職が3年半の雲水修行から帰ってきて、ようやく陽岳寺慣れたと思っていたら、今や、副住職の自覚のエンジンが、より回転した様子に、嬉しくもあり、あぶなっかしくもあり、たのもしくなってきた感もするのです。
 
 昨夜も、浅草のどこかに行き、座禅会用の座布を40ヶぐらいか持って出かけ、夜10時過ぎても帰ってこないのです。
 会場は、喫茶店だったり、神社だったり、会社だったり、請われればどこでも……というのか、どうも地域起こしのようなことまで。

 あるいは、本堂に若い人を中心に、ボランティア60人から70人集めて、5月増上寺の仏教フェステイバル「向源」のイベント説明会をするというし。

 私には考えられないのですが、お茶会、ヨガ、親子との対話集会、パソコンやテレビゲームではなく仏教をテーマにしたカードゲーム制作などなど。

 宗派や宗教を越えてのつながりというか、そういう時代に入っているということなのでしょうし、それに気がついたのでしょう。 

 宗派的に言えば、副住職は「転じられた自己が、転じるようになって」、最近は陽岳寺という枠の中のことより、外に出て活き活きとしていることが多いのです。あるいは、「随処に主となる」とも言えるかも知れない。

  実際には、随所に主となりは、副となり使い走りになり徒労となり友となり聞き役となり話してになりで、感情から言えば、意気が上がったり下がったり、自分を叱ったり、人の寂しさや苦しみに同化したりです。

 でも考えてみれば、自分を活かせる」時間を持てたことは、子供もいてお年寄りもいて、困った人もその困った人に自分の時間やお金を与えることができる人もいて、差別に喘いでいる人や様々な場所に、様々な基盤がある都会に自分を活かせられているともいえます。

 そんな彼を見ながら、何故か私は、ますます忙しくなって、もうメチャクチャ、一つの身体で、一つの頭で、幾通りの役回りとなっているのです。

 私が、住職となってしばらくだったと思います。親しいお婆さんから法事を依頼されたときです。
 そのお婆さんの放った言葉は、今でも私の心に突き刺さっています。

 「和尚さん、お経はサワリだけにしてくださいね!」と、「何分ぐらいですか?」と、「短ければ短いほどがよい」と。

 確かに、今の読経では、伝わらないし、心に響かない。
 せめて大勢で大きな声で、あるいは音楽のようにかなでるものなら印象が違うかも知れない。

 そんな何坪もない末寺の私に、答えてくれるところなどあるわけがない。

 そう知って、何とかしなければと35年がたち、どうにか、日本語ですべての法要ができるようになってきました。やすらぎや喜びを感じられ、シクシクと涙を流し、人に人生の受用と活きる力を法要で伝えられるようになったということです。場所も道具も、その時その場で、施主に合った法要をです……

 ただ言葉というのはお経と違って、語り手の心というのか、見方というのか、思いというのか、考え方というのか、意志が反映されます。これは言語の持つ特色だから仕方がないのですが、怖さもあります。


神通妙用
釈尊が亡くなろうる直前、迦葉尊者に法を伝えたのですが、側に控えていた阿難尊者には、こう問いを残しております。

「法の本法は無法なり、無法の法も亦た法なり。今無法を付する時、法何ぞ曾て法ならん」と。

それから1,000年以上経て、「法、法に非ず」とはどのようなことでしょうかと、修行僧が趙州和尚に尋ねました。

趙州は「東西南北、上下四維」と答えました。

無法へのきづきです。

「神通妙用、妨げるものはなにもない」と。

これも説明か!「


バランス
バランスは、均衡・平静・安静・安定という。
ワークバランスといえば、仕事と家庭との調和いいます。食事バランスからは、フードガイド、食事の指針があります。

このバランスに対してアンバランスは、相対するものの不均衡をいいます。

社会・貧富・所得・情報・健康・医療・教育・恋愛・世代間・一票・生まれも含まれて様々なアンバランスの問題がニュースになる時代になってしまいました。

原子力の問題も、9・11よりバランスの問題に、国債の問題も微妙なバランスにおいて成り立っています。

バランスは微妙な平衡感覚で、その感覚は私たちの内部の心の問題でもあります。

ところで、仏教のバランスは、中道ともいい、相対するものに偏しないということになるのですが、それはバランスとアンバランスを離れたものなのでしょうか?

バランスの根拠はアンバランスにあり、アンバランスの根拠はバランスにあり、双方が切っても切れない結びつきであり、結びつくことで成り立っている関係なのです。

相対する関係の中で生きる私たちの価値観に生きて、相対するものに偏しないという生き方。

あなたならどう生きますか?

The answer is blowin’ in the wind.
How many roads must a man walk down……

私が20歳ぐらいの頃だったろうか、この歌が街頭にあふれていたのは

それは…………

大砲の弾が飛び交う下で、普通に、人が誕生し、恋をして、老いて行くことを思ったことがあるのか?

無残な死者となることを誰が願って生きているものか?

首をかしげ、目を閉じ、言葉が無意味となる光景

あれから何年経っているだろうか、ボブ・ディランは幾つになっただろうか。

それが、まさか、地獄の中で生き抜く人間達が作ったおとぎの国の物語を現実しようとは

ただ願うことは、見えない叫びを目で聞け、地に倒れた人の思いを耳で見て欲しいだけ

その答えは、風に吹かれて……風となって……

答えは 風の中に……人の中に……


鬼すだれ
落語の中で、「忌中札があるのだが、そのハッキリとした意味がわからない。大した問題では無いのだが、しっくりしない」と質問されました。

江戸川柳に、「裏口へ嫁の願いは鬼すだれ」があります。江戸時代の家庭には、どこ台所にもあったものであり重宝されたものなのでしょうか。

時代物の小説や落語にも死者が出たとき、この鬼すだれを裏返しにして、半紙に忌中と書き表戸につるすことが書かれています。

伊達巻きなどに使用する三角の形をした竹を編んだものですが、細い竹を編んだすだれも代用されました。きっと、表と裏があり、表の使用は常ですが、日常と非日常ということでしょうか。

庶民の智恵だと思っています。それは日常と非日常は、別々にあるのではなく、裏表であると言っているように聞こえます。

非日常では、着物ですとエリの合わせ方を違えることも、ご飯を持ったお茶碗に箸を指すことも、普段と変わったこととしてです。

それにしても、「鬼すだれ」とは面白い名前です。意味がわかりません。

鬼に関しては、日本の物語には長い時代伝わってきていまが、聞かなくなったのは、明治以降ではないでしょうか?

ところで、神社仏閣の内陣には、隠す意味を含めて、内陣にすだれがあります。

御簾(みす)とも言いますが、へりには錦や綾で飾ったものです。

庶民の暮らしのすだれは夏のものですが、忌中のすだれには季節がありはせん。

鬼すだれは御簾(みす)の代用のような、鬼すだれで代用したのではないかと考えましたが、まだ納得がいっていません。


許しのつぶやき
汝を許すとか、敵を許すとか言葉があります。

若し許すという心の言葉があったとしたら、仏教では、自分に向かって発する言葉になるのでしょう。

壁は、私の心にあるのですから。

しかも、もともと心には、そんなざわめきはあるはずがなく、対象とかかわって自分が創り上げたものです。

憎む、護るも、責めるも、対象にかかわって自分が創り上げたものです。

この現実にどう、対象とかかわって生きるか、他者をいたわり生きるか、それを考えましょう。

よりどころ
 私たちは、今、何を、生きるよりどころとしているでしょうか。

 家族や夫婦・友達や子ども、学校、仕事、趣味もあるでしょうし、お金もあります。

 考えてみれば、そのより所とは、全て関係・結びつきであり、その中に変化し変わり続ける暮らしに、たたずむ自分であることに気づきます。

 その結びつきは、過去と未来に結ばれた、時間と場所である今に気づくと、いかに自分が問われているかと、その問いの中に答えはあるはずなのです。

 人は多く結ぶということを、結ぶ以前に、結ぶものが先ずあって、それが結ぶと考えているのですが、このことも、もう一つの見方は、結ばれたことによって、その結ばれた相対する双方が、同時に、分離独立して、成立するのが現実的な仏教的な見方です。

 谷川俊太郎氏という詩人は、鋭い人です。こんな詩があります。

「さびしいと感じるとき、ぼくは孤独ではありません。 ぼくは、その時、他の存在を予感し、さびしいと感じることで、かえってそれらと結ばれているのです。」と。

 寂しさにおおわれ、ひとりとなることで、それは却って結ばれているからだということに気づくことのなのだと……

 もし、寂しさや悲しみを感じることができない人がいたとしたら、その人は、鈍い人だといえないだろうか。

 しかし、寂しさだけにおおわれるのとは、ちょっと違って、その寂しさの原因に気づかなければ自分を理解していないことになる。

 さて仏教の考え方は、自分を知ろうと、理解しようとした瞬間に、知ろうとする自分と、知る対象としての自分に、分離することに気づかなければならない。

しかも、その分離したことで、却って、知ろうとした自分と、知る対象の自分とが、結びついた事実に気づかなければならない。

このことは、自分を知ろうとしている自分は、知る対象としての自分に根拠をもっていることにです。

そして、同時に、知る対象としての自分も、自分を知ろうとしている自分に根拠を以って成り立っていることに気づくのです。

そして、この根拠にして、あるいは拠り所にして、仏教は縁にして、と言うことですが、逆に、縁が無ければ、根拠がなければ、今の立場はないのですから、知ろうとしている自分も、知る対象としている自分も、共に、二人の自分は、互いに根拠としていることなのですが、これは、互いに自己を否定して、この関係が成り立っている事実が浮かび上がります。

 仏教は、このことを、互いに矛盾を媒介として成り立っていることと言います。

そしてすべての相反する、相対するものの関係までもが、矛盾を媒介して結ばれ、結ばれることで分離するとして、縁起や因果の法則として完成させています。

 知ろうとするものも、その対象も、もともと含まれて一つであることを、二つにする人間のはたらき、あるいは、染みついた習慣を、現実の有り様として見つめます。 

もともと、心は物質で無いのですから、物質の世界には属していません。しかし、そうは言っても、心はモノと全く別なものでも無いことから、物質のない世界にも属さないということができます。

 すると、心の属する世界はどこにもないはずの、それが、本来自由で解放されていることの空や、無であるはずの、さらに言い替えると、空や無である心を、空ゆえに、つかまえることも、つかまえることができないことも、証明しています。

不可思議であり、言葉で表現できないもの、何ものでもないもの、しかし、把むことができるとしたら、意識が、感情が芽生えたときに、空や無を見つけることができると考えています。 

突然に湧いた感情は、人が心に写る、何かしらの対象に対して湧く感情や考えであり、次々と人の意識の表層に現れる波のようなモノといえばよいのでしょうか。

その波を捕らえる感覚さえ理解できればわかるはずです。

 谷川俊太郎氏の、「さびしいと感じるとき、ぼくは孤独ではありません。ぼくは、その時、他の存在を予感し、さびしいと感じることで、かえってそれらと結ばれているのです。」と。 

谷川俊太郎氏は、自分の中に、寂しさという感情を発見したとき、その寂しさの自分が分離したことになるのですが、直ちに、その分離した意味に気づくことで、他の存在と結ばれていたことが、自分の中に強く描かれていたと言えるでしょう。

 谷川俊太郎氏には、こういう言葉もありました。

「どんなに小さなものを愛してさえ、愛することさえ出来たら、私たちは孤独ではない。愛することで私たちは世界とむすばれている」と。

愛について、理解していることは、愛とは、結ぶということで、究極において、全体という大きなものとの、ひとつの力となります。

そして、結ぶことで、あるいは、結ばれたことで、私たちは、一人を発見する自覚が必要なのです。

 愛は私たちを生かすものです。

しかしそれは同時に私たちを死なしめるものでもあります。

それは、対象と、あるいは全体と一つに成ることで、自分をなくす意味をもちます。

どんな小さなモノでも、些細なモノでも、亡くなった人にもです。

「和をもって貴となす」
毎日新聞、平成25年5月23日朝刊に、面白いジョークの記事を見つけました。

沈みかけた船に、イギリス人、ドイツ人、フランス人、そして日本人の乗客が大勢乗っています。
船長は、乗客を助けるために、それぞれの国の人たちに、海に飛び込ませようと考えました。

イギリス人には「飛び込めば、貴方たちすべて本物の英国の紳士淑女です」と、ドイツ人には「この船はやがて沈んでしまうでしょう。

この船の規則では、船長の指示に従って海に飛び込まなくてはなりません」と。

フランス人には「この船は、すぐにでも沈んでしまうでしょう。そうであっても海に飛び込んではいけません」と。

そして日本人には「この船は今、沈もうとしています。あなた方日本人の方々は、みな海に飛び込んでいます」と。

これはイギリス人の固苦しさ、ドイツ人の規律好き、フランス人の傲慢さ、日本人の協調性という国民性を表すものだそうです。

西暦604年、推古天皇12年に、聖徳太子が作ったとされる十七条の憲法の第一条は、「和をもって貴しとなす」とあります。

当時の日本は、大という字に、亻偏に、委(ゆだ)ねる(まか)せると書き、「大倭国」と書いて、その意味は、大きく稲の穂が垂れた国という意味でした。

 大和(やまと)という国になったのは、十七条の憲法が出来てから150年ぐらい経ってからです。

 飛鳥時代から奈良時代の半ばになって、やっと大和という国の基本が調ってきた頃なのでしょうか。

西暦757年、天平勝宝時代であり、その頃になると、活発に遣唐使が派遣され、東大寺の大仏開眼、唐の国より唐招提寺の鑑真和上が来日し、聖武天皇の遺品を正倉院に納めた時代です。

日本という国が統一に近くなってきたのか、あるいは、統一をしたものの各地区の思いや意見が違ってきたのか。

「和をもって貴し」のあとに、「逆らうことなきを宗とせよ」とあり、「和」を大きな一つという概念にしなければならないと思ったのでしょう。 

聖徳太子は、三経義疏(さんきょうぎしょ)といって、法華経(ほけきょう)・勝鬘経(しょうまんぎょう)・維摩経(ゆいまきょう)の訳注を書かれました。 法華経と勝鬘経は、すべての一人一人が、自らを律することを宗とし、他者を利することを心がけることを共有しての、「普段の生活の中での心がけ」といったらよいでしょうか。 

勝鬘経は、王様の娘で勝鬘という婦人が、真理への自覚まではと、生活のありようを釈迦が認めたものです。

こんな内容があります。
《世尊よ、今後、私は自分自身の享楽のために財産を蓄えることはいたしません。

ただ、世尊よ、貧乏で苦しんだり、身寄りのない衆生を成熟させるためには、大いに蓄えたいと思います。

世尊よ、この第六の誓いを、私は菩提の座に到達するまで厳守します。》

和は、様々な意味を持っていることがわかります。和は他者に向かうとき、敬い、いたわり、思い、自分に向かうときは、誡め、国というものを、真理、菩提、悟り、国が一つになるためにです。

ところで、深川のお祭りで、神輿をかつぐ言葉は、「ワッショイ!」に統一しています。

古老は言ったものです。
 「子どももお年寄りも、男も女も、貴賤に関係なくワッショイ!だ。このとき地域が一丸となって和を背負うのだ。それは、それぞれの分をもって、各自の担う務めを果たしながら一体となることだ。それが各町の競(きそ)いと言うことで、何も優劣とか一番とか言うことではない」と。

「和をもって貴し」の和を、協調性や、みんな一緒、となり組。極端な内容になれば村意識、一体感、「バスに乗り遅れるな」などと、過去の歴史には、利用されてきたことがありましたが、みな片方ばかりからの誤った見方でした。

維摩経が含まれていることから、「和をもって貴し」という発想には、「和して同ぜず」、という哲理も含んでいます。

人の集いは、人種で言うなら、肌の色も様々でありながら、出生も様々、生き方も様々、宗教も、考え方や見方も様々で一つでありながらも、「同ぜずして和す」という哲理を含んでいます。

人が、一瞬を生きることに於いては、肌の色も出生も生き方も宗教も考え方や見方もないに等しいにかかわらず、何故、世界は、こうも激しく対立するのか?仏教は、相対することで世界が成り立っていると現状を説きます。

自己と他者も対立することで成り立っていることに、他者を利するとは、自己をなくして他者に尽くすと読めないでしょうか。

そこで、「他者を利して、分を持って生きる」とは、分とは居場所ということですが、その分は関係により時間により様々に変化するものです。

その変化する分を徹して一瞬を生きることが、他者を利する行為となります。また利するとは、他者になって聞く、見る、行うことといえますが、そこには、対立するものはありませんし、いさかいやいがみ合いはありません。

ここから、それぞれの分というものにおいて生きることとは、「同ぜずして和す」という意味が含まれています。

聖徳太子の講じた維摩経は、不二の法門を説きます。

不二とは、相反するものは互いに根拠として成り立っている現象に、その根拠から見れば、根拠を持つこととは、自分に根拠は無いという矛盾を含んで相い対立している事実を直視することとなります。

世界の具体的現実は、もともと自者は空において成り立っているからこそ、諸々の関係においてスムーズに事が運ぶのですが、その空に我が入り込むことで、とらわれとなって自由に働くことができなくなることを考えさせています。

「和をもって貴しとなす」には、「和して同ぜず」、「同ぜずして和す」を含むことから貴いのだと理解できます。

語り得ぬこと、それでも
長い間、住職をしていると、本当に人の生き死にに関して、感覚が慣れてしまうことが多いのです。

その感覚を研ぎ澄ますためには、人を見ることが何よりも大切なことです。

例えば、訃報をいただき、その訃報は常に突然のことであり、驚きます。

家族と親戚と話しを聞くうちに、何の病気か、入院は何ヶ月か、手術は成功したのか、ただただその間の経過を聞くうちに、病名や経過におわれてしまうことがとても多いのです。

人間を問題にする場合、病名や経過はただの時系列のことであり、問題は、その病気ばかりに目を奪われて、背負った人間が見ることがおろそかになってしまうことに気づきます。

ガンは完治したというけれど、完治した人間は、未だに自分の何処かに背負ったままに生きている事実をです。

一刻一刻、一日一日、押しひしがれそうになっても生き抜こうとする人間の悲しさ、たくましさ、はかなさ、強さ、そんな中でも湧き出でる笑い、安らぎ、混在となって生きる姿勢に気づくことが何よりも必要なのにです。

当たり前のことなのに、そこに、人間としての命があるのだと思っています。

そんな一刻一秒の出会いの命の積み重ねである人間を、語ることなど至難のことです。

知ることも出来ない事実に、でも人は向き合わねばならない。

親しければ親しいなりにです。接すれば接するほどにです。

それでも語ることを怠ってはならない。語るためには観念や思いが必要だとも思っていますが、実は、知るということは、観念や思いとは全く次元が違うことです。

病人や身をもって知り、背負ったものを、家族はどう知ればよいのでしょうか悩みます。

言葉では言い表せないものを、それでも語ること。

語り得ないものを語ることに、人間の命が少しは見えてくるのだと、そのことは、自分が見えてくるこだとも、固く信じています。

そして語るうちに、ただ願うことは、家族がいつか、出来ることなら早く、今の哀しみが、「ありがとう」と笑みを浮かべて言える日になればよいことを願っています。