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終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



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新年 明けましておめでとうございます。
今年も、新年を迎えられたこと、何よりもお喜び申し上げます。

ノーベル賞受賞者のシンポジウムで合意された宣言文の一部です。

「……人と人との中で暮らしながら、私以外の他の人の考えや見解が認められなければならない。

誰でも自分自身の考えや信念に囚われているときは常に正しいと思う。しかし厳密な意味では、すべてにおいて、正しいということは絶対にない。

そのような主張は、生きている生活から逸脱した場にだけ存在する」と。

この生きている今・ここと、逸脱した場所とは、何処と何処でしょうか?

すべての人々が、幸福でありますように。

平成28年正月

途中にあって家舎を離れず
臨済宗の祖、臨済禅師は、臨済録に於いて、「途中にあって家舎(かしゃ)を離れず、家舎にあって途中を離れず」と記しています。

途中とは目的地があるなら、ここからあそこまでの今の一歩です。そして家舎とは今の自分とも、今という無心な自己とも表現するものです。

そこで、人生という長い旅から見れば、すべての歩みは、今の一歩にあると読み替えることができます。

しかも、この一歩一歩を、別の言葉で表現すれば、吐く息吸う息ともいえます。

人はその吐く息吸う息を意識しないものです。

意識しないからこそ、私は「仏の息」とも時に言い換えるのですが、この息が感謝されることは普通の日常の生活では少ないことです。


静かに坐って自分の息を見つめる。不思議なことに息を見つめていると、自分の存在が無くなることがあります。

今そのものになっている状態ですが、ふと時計を見ると何十分何時間と経過していた今であったりします。

ただ単に時間が過ぎていたことに気がつかなかったとも言えるのですが、それだけのことなのでしょうか?

仕事に没頭しているとき、スポーツに没頭しているとき、考えごとに没頭しているとき、辛さや楽しさに没頭しているとき、自己はありますか?

人間の人生という一刻一刻の時間を解体してみると、その都度の一刻に活きた私があるだけであって、ふと人生はあったのかと不思議な疑問を持つのです。

しかもその一刻一刻の私は、言語と記憶、意味によってつなげ、歴史を、思いを創り上げている自分が居ることを考えたことがあるだろうか。

しかも「途中に在って家舎を離れず」という家とは、どんな場所と時間を指すのか、何を意味するのか、ここという意味なのか。

詩人の長田弘さんは、詩集「死者の贈り物」に書いています。

《目的地なんて人生にとって有るはずもない、すべては途中にすぎない。しかも途中でありながらすべてを含んでいることも事実なはず。

過去を思い出して、あるいは、未来を描いて、自分に与えられた人生ではあるのだが、でも、本当に与えられた時間は一瞬に過ぎない。

考えることも、思い出すことも、未来を描くことも、現在の一瞬でしかないではないか。

文章を書くボールペンのボールの転がる先に、筋がついていくが、それは時間であり、自分の歩みが、延々とつながって表現されているにすぎない。


震災で瓦礫となってしまったもの、泥だらけになった生活の中の便利に使われていた数々のモノ、切り取った時間と場所を表す思い出の写真や飾られたモノ、それらすべてが人生の途中を表現していた。

そしてその途中にあったそれぞれの一瞬は、生き残ったそれぞれの一瞬に合流して、今も、時を刻んでいるといえないだろうか》と。


葬儀では、亡くなった人の人生の意味を、こちら側からあちら側という旅に見立てます。

残された弔問の方々の言葉も、この場所で今どう言えばよいのか、家族に対しての言葉でもあることから、今の心象の言葉を選びます。

「良い奴だった。本当に悲しいし寂しいんだ。一人になってしまった。残念だ。有り難う」。人によっては、「申し訳ない。すまなかった。あやまる。有り難う」と。


遺族にとっては、故人への存在が大きければ大きいほど、依存していた自覚が大きければ、悲しみも寂しさも大きく言葉にはならないものです。

しかも否応なく時間が過ぎ去っていくことは、こちら側とあちら側に引き裂かれる悲鳴を見ることも多い。

その後も苦痛を持ち続ける姿に、上っ面の言葉は却って不審をおぼえることもあるでしょうし、現実の事実の過酷さを突きつけることも難しいものです。

そこで、私は、あの世とこの世について、こちら側とあちら側について、「向こう岸に着いたら、もう船は入らない」と故人に告げます。

しかも人生には、「こちら側のことは、あちら側によって決まる」こともあるのだろうし、「あちら側のことはこちら側によって決まる」こともあるのだろうと考えています。

何故なら、こちら側の根拠は、あちら側にあり、あちら側の根拠は、こちら側にあると言えるからです。そしてこのことは、あちら側もこちら側も、同時に今成り立っているはずなのでね。

さらに、あちら側を死の世界に、こちら側を生の世界に当てはめてみれば、死は生を含んであり、生は死を含んであるとも言えるからです。これが相対的な世界です。

考えてみるとそれは、こちら側の私たちの目や耳腕や足までも含めて、すべてあちら側という外側に向っているということで説明できるのかも知れません。

すると、あちら側の人たちは、こちら側を向いているとも言えるからです。

禅宗の語録、無門関の第8則に、こんな話があります。

「車を形作っている部品をすべて解体してみると、車はどこにあるか」と。

途中を歩む人間を、車に見立てて車の姿形や性能や理念も、いちどすべて解き放してしまえと話を進めます。

そしてこの公案の車の両輪とは、強弱、善悪、美醜、損得、迷悟、自分と他人、主観と客観、積極と消極など相対的なものは、もともと分かれていないと、車は一つと見極めることを説きます。

さらに、その見極めた意識も放って置くと説きます。強弱、善悪、美醜、損得、迷悟、自分と他人、主観と客観は、一つです。

そこで改めて考えることは、車はあったのか、生死する車という自己はあるのかとの問いに、もともと無住にして無相、無念という自己は、生も死もないことから、自己とは不生にして不滅の今の私であることが分かってきます。

その車に気づいて、不生にして不滅なものが瞬時も留まることなく活発に働く無常な途中という意味を確かなものとしなければならないでしょう。

そうでなければ、ただあちら側という今の人生に流されて、途中でありながらも現実の確かな今の自分を失うことになるのかも知れません。


車は車として、人やモノを運ぶ今の車がただあるだけです。


家舎もなく途中にもあらずと、家舎を離れて家舎もなく、無心や無我に置き換えてみますと、途中にあらずとは、一瞬一瞬の無心な今を生き続けることとなります。

厳密にいうと、仏教は生があって死があるとは言いません。

「生は生のみ、死は死のみ」ですから、生の居場、所死の居場所は、時間的な経過ではなく、常に今の居場所となります。


それはあちら側もなく、こちら側もない今に、生が輝いていると思うのですが?

誰がこの言葉を吐かしめるのか?
俺は何をしてしまったのか?

何て言葉を吐いてしまったのか?

何てことをしてしまったのか?

知らず出てくる言葉は、私に向かって言う言葉です。では誰がこの言葉を言わしめているのか、考えたことはあるだろうか?

そしてその問いを起こす私の心の中に、深く答えを求めたことがあるだろうか?言ったあとのことです。

言った私が、言う相手の私との自問自答に、私の中に二人の私がいて、主観(私)と客観(相対化したもの)という意味では、客観化された私が過去や未来を含めれば無数に存在してしまう矛盾に気がついただろうか? 

そんな疑問が生じたら、自分の心をのぞきながら、禅の問答を見てみよう。

先ずは禅宗の中国での初祖達磨(だるま)大師と二祖慧可(えか)大師の問答です。

《達磨に対し、心が静まらない慧可が、「どうか私に安心させて下さい」と問うた。達磨が答える、「その休まらない心を持ってこい、あなたと共に安心しよう」と。慧可は、「貴方に弟子入りして、長く心を探しましたが、何処にも見つかりません」と告げた。達磨は、「慧可と共に、安心したではないか」と答えた。》

大体問答は簡潔にして要点だけです。慧可の言った「長く心を探しましたが、何処にも見つかりません」の言葉は、原文では「心を求めるに不可得(ふかとく)」です。この「不可得」で悟った慧可。心コロコロ転がる心、探せば探すほど心なしか自分を見失いますが、その見失ったままの心はあるのだろうか?見失ったことに何が悪いのかとも考えられます。

黄檗(おうばく)禅師(臨済の師)という方は、「人は、不可得という空に落ちることを恐れるものだ。もともと心が空であることを知らず。愚かな人は、心で事(現象)を除いて心を除かず。賢い者は、心を除いて事(現象)を除かず」と、話されていました。

難しく考えることはありません。私の中には、自分でも想像がつかないほどの、素敵な私がいる。その私が最大限現れたとき、私の中の智慧や慈悲、下町では勇みや情けが現れるものです。

次に六祖慧能(ろくそえのう)禅師と南嶽懐譲(なんがくえじょう)禅師の問答です。

《懐譲が初めて慧能を訪問したときに、慧能は言った、「どこから来たのか?」。懐譲は「嵩山(すうざん)からまいりました」と。慧能が言う、「何ものが、このようにやって来たのか」》

この質問に対して懐譲は答えられなかった。そして8年後その答えをもって慧能に答えた。「一言でも言えば、当たらない。はずれてしまう」と。

なんと長い年月がかかったことでしょうか。

こんな問答もあります。
《達磨が武帝(ぶてい)にお会いした時です。武帝は達磨に、「私と対話しているものは何ものか?」と話しかけます。達磨は武帝に、「不識(知らん)」と答えたのです。》

達磨の伝えた禅は、自己を直視するものですが、どんな時代でも「花子さん!太郎さん」といえば、呼べば「はい。何か用ですか?」と答えるものです。

「知らん」や「言えばはずれる」では、まるで喧嘩をけしかけているような。でもこれはあくまでも禅の修行であり、自己とはと、究める真剣な修練です。

実は呼べば答える自己は、「はい。何か用ですか?」と無心(言えばはずれるものから)に答える私でもあるからです。

ではそんな心の中の不可得な私を、平常どう目覚めさせればよいのか?問答を見てみましょう。趙州(じょうしゅう)禅師の問答です。

《修行僧がお師匠様である趙州に質問します。「修行する者の自己を教えて下さい」と。すると趙州は、「そうかね。ご飯は食べたかな?」と僧に答えました。僧は、「はい。ご馳走様でした」と答え、それに対して趙州は、「それならお椀を洗っておきなさい」と。》

普段通りの会話?なのですが、この修行僧は、ハッとして悟りました。「この修行する学人の自己」という私が、その私のことを他人に教えを請うなど矛盾していることに気づかないものです。すでに、問いに答えがあるはずなのにです。

よく「私って、こうじゃないですか?」という会話、自分の嗜好や思いを私が他人に思い込ませ限定させ、アピールさせる会話をよく聞きます。

私が私の思いの中であえて狭めて、限定した自分であると、他人に知って貰いたいというその自己を見つめます。

その私は、もっと可能性を秘めた、自己とは自意識ではなく、働きや行為・現象によって生ずる自由なものです。そんな自己に対しての問答です。

《瑞巌師彦(ずいがんしげん)禅師は、毎日常時、私に対し「主人公」と呼びかけ、自ら「はい」と答えた。そして「目を醒まして。くらましてはならないぞ。はい!」と言っていた。》

これも問答あり、不可得な私に徹することを戒めるものですが、これがいかに難しいことか知らせてくれます。首山(しゅざん)という禅師は、私を「汚染させるな!」と語っています。

釈尊は、「成道して49年、一字(私という不可得な自己)も説くことができなかった」と語られています。

しかも、語らない山や川や海の「語り尽くす山雲海月の情」と私は見聞します。

二宮尊徳は「声もなく香もなく、常に天地(あめつち)は、書かざる経を繰り返しつつ」とも語っています。

最後は、維摩経にある言葉です。《本有円成仏(私の中の本来の完成された仏性)、何としてか還(かえ)って迷倒(めいとう)せる衆生となる。》

人は何時でもどこでも誰でも、何にも汚されない私(仏性)を持っている。それがどうして迷って顛倒(てんとう)した私となっているのか?と喚起させます。

妙心寺派元管長西片擔雪老師は言います。「迷いがない悩みがないということも、実は迷いなのです」と。

花が咲くのも無心、話を聞くも無心です。嬉しいも無心。心通わせ曇らせるも無心。


減っても大変、増えても大変です。

江東区の人口が、今年7月に50万人を超えました。11月1日現在で、501,017人となっています。

これは湾岸エリアの豊洲の人口増加に多くの理由があります。

しかし、陽岳寺のある地区の明治小学校も、来年の小学1年生は6クラスとなりそうな勢いに、児童総数は1,000人を目指しているような気もします。

平成13年に白河地区の小学校が、児童減少で閉校となっていたなんて、どこか違った地域のような、人口減時代がウソのような話です。

減っても大変、増えても問題を含んでいます。

増減によって動かされるのですが、宅地の高層化によってこの地域も、ジワジワと人口が増えているのが現実です。



命の中の争いは幾度となく繰り返す。
逆に言えば、もともと無相にして無住・無念という心を持っているために、私たちが誰かを殺そうと思えば殺せるし、正義のために悪を滅ぼすこともできると悟ったのは釈尊でした。

この壊れやすい身体と意識は、何かの衝撃により襲われれば、身心はもろく、殺されることとなる。

だけれども、これを霊魂といってよいのかわからないが、命と命の集まりである世界という生命の集まりであるものを霊魂と呼べば、どんなことをしても、その霊魂は殺すことはできない。

殺害され抹殺された一つ一つの命は、強さや弱さ、運があったり無かったり、力や非力だったがゆえにその体を失うともいえる。

しかし大きな霊魂という命は、怒りやねたみ、恨みを晴らさずにおくものかと輪廻の鎖となって互いに復讐を繰り返えす。

これが命のそして、すべての生命の原理なのか?

私たちが、怨みや人をだまそうと抱きながら生きると、私たちの歩みも怨みや醜い生活となる。

汚染された生活習慣、空気、食べ物、水、言語、思い、思想は、さらに汚染された生活習慣、空気、食べ物、水、言語、思い、思想を作る。

すべては、いかなる現象さえも、私たちが創造して起こしたものである。

無相にして無住・無念という心の造りだしたものにとらわれるからだ。

本来無相にして無住・無念という何にも汚されない心を持っているのにです。

無と有の対話
ずっと以前に有から、親族のことで、いざこざがあると、聞いたことがあった。

ある日のことだった。また有と会った。

有に、「その後、落ちつきましたか?」と聞くと、手で胸からお腹を指し「あちこち手術をして」と言った。

「良性ですか?」と聞くと、「悪性でした」とつぶやいた。

すこし沈黙のあと、顔色を見ながら「薬は?」と聞くと、「少しですが飲んでいます」と言う。

でも笑顔がただよっているので、「ガンは人間を生きていることを考えさせるでしょう?」と言う。

「そうですね。何だか世界が変わったような」。

「今まですべて時間に追われ何かに追われながら、振り返ることもなかった、見つめることもなかったものが、見えてきましたか?」

「感情が豊かになったような……」

「今まで考えもしなかった命の近さ、何気ない自然や人の人間の行為が見つめられる機会を与えてくれるますか」と言うと、

「そうですね」と笑顔で話す。

「そしてまぶしさや輝きが新鮮に自分を覆いませんか」と。

肯く有。

「ガンからそんなものが与えられるとは思わなかったです……」と。

「ここまで来るためには、辛かったことが多かったですね」と。

有は「有り難うございました」と帰って行った。


無は、「私は、自分の心を識らない」と、有に言った。

有は、「私は、自分の心ばかりが見えるのです」と、無に言った。

無は、「私も、以前は、あなたと同じようにあなたと同じでした」と告げた。

彼岸の意味
彼の岸と書いて、彼岸ですが、この言葉、彼岸がこの岸と書いて、此岸によって成り立っている言葉としてあることを、私たちは意識しません。

お彼岸とは、今を活きる私たちにとっての命が、多くの旅だっていった命によって成り立っている、活きる場所としての此岸を改めてむすびつけるものなのです。

だから彼岸は、そこに此岸と彼岸が結びつくお墓参りをする文化として、日本に根付いているものです。

ところが、日本以外の国々では、このような文化はありません。

日本独自なものとして、春分と秋分の日という休日がありますが、彼岸という形が全国に渡って文化となることは、よほどの歴史がないかぎり定着しないのが歴史です。

彼岸会法要は、西暦806年元号では、大同年間に、全国の国分寺に対して、春分と秋分を中心に、前後七日間、昼夜を問わず「金剛般若波羅蜜多経」というお経を、読ませ続けたというのが起源だそうです。

では誰のために、お経を読ませたのかというと、崇道(すどう)天皇という方ために金剛経を読まさせたと、日本後紀などに記されています。

ところが、天皇の歴代の名に、崇道(すどう)天皇という名前はないのです。

この崇道天皇は、桓武天皇の弟さんで、早良親王(さわらしんのう)という名前でした。桓武天皇が、亡くなった弟さんに対して、送った称号が崇道天皇という名前だったのです。

この崇道天皇は、桓武天皇の弟さんでしたので、いわば皇太子に当たるのですが、桓武天皇はご自分の息子さんに天皇の位を渡したかったのです。

ときに時代は奈良の平城京から、まだ完全にできあがっていない長岡京に都が移った時代でした。その長岡京造営に尽力した藤原種継という人が、暗殺されてしまう事件が起きたのです。

その事件の首謀者として、早良親王は寺に閉じ込められ、皇太子の位を剥奪されます。親王は、「自分はそんな謀反や逆賊ではない」と抗議し釈明しましたが許されず、流罪となって淡路島に向かう途中で、食事も取らず七八五年、餓死して亡くなりました。

そしてこの物語は、その後立て続けに飢饉や疫病や洪水が起こり、伊勢神宮は放火で燃えてしまい、次々と桓武天皇の夫人四人、母親の五人が亡くなり、皇太子に立てた息子さんまで病気で亡くなってしまいました。

人々誰もが口にすることは、「早良親王のたたり、怨念である」と。

桓武天皇は恐ろしくて、たった一〇年で、長岡京を捨てて、新たな都に遷を移すことを考えます。

ところが、その都を造ったけれども、この都もたたりがあるのではと、恐ろしく安らぐことが出来ません。
そこで、都の東西南北に、東に「青龍」として川を、西に「白虎」として大路を、南に「朱雀」として池を、北に「玄武」として山を守りとして四神(ししん)に守られた都が、平安京です。しかもそれだけでは安心できませんでした。

さらに東西南北にスサノオノミコトをまつった大将軍神社を造営し、上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)と下御霊神社に崇道天皇自身をご神体にまつり、それでも安心できずに、都の鬼門とされる北東には、幸神社(さいのかみのやしろ)・上賀茂神社・下鴨神社・貴船神社とまつりました。それが今の京都であり、平安京だったのです。

なお、この八〇六年という年は、桓武天皇が崩御して、平城天皇が即位した年であることから、この二十年にわたる日本は、二度の都の造営に、洪水疫病、日照りと飢饉に悩まされた時代だったことがわかります。 

これが彼岸法要の起源であり、実に日本的で、神社と寺社の結びつきの霊魂を鎮(しず)めるため、死者の往生を弔うための造営と供養法要の日本の歴史上最初のお彼岸法要のだったのです。

日蓮宗の日蓮は、彼岸抄に、「この七日間に、一日でも善い行いをすれば、他の日にちに幾度となく善いことに費やすより大きな利益があるだろう」と説いています。

彼岸の意味を考えてみました。ウィキペディアなどを参考にしました。

彼岸です。
明日からお彼岸です。菩提寺を持っていらっしゃる方々にとっては、年に2度訪れる季節となります。

陽岳寺では、副住職が修行道場から下山してより、年に2回、この彼岸の中日に、檀信徒に法要を誰もが参加できるようにと行っています。

もっとも、彼岸法要は、それ以前から行っていました。毎回内容を変えながらが信条ですが、彼岸というテーマにしぼられるため、難しいのです。

秋季彼岸法要は、三大樹の内容で、この秋復活します。

彼岸というと、彼岸に到るで、「到彼岸」です。

般若心経には、「往け 往け  さとりの彼の岸へ  吾れ他(ひと)ともに到り得て  さとりの道を  永遠に成就(とげ)なん。
と、、南禅寺の元管長、柴山前慶老師が般若心経の意訳を書かれています。

般若心経 柴山全慶老師
心という、心性の自在を観察し得(う)る人は、深広無辺の妙智に透徹するが故に、この身も心もなべて皆実相の姿なりと悟り、目前の虚相にのみ執(とら)われないから、一切の苦厄も障(さわ)りとならなくなってしまう。

真実求道の人々よ。

この世にありては、物も心も悉く、実相の姿に過ぎないのだ。故に千差万別の世界も、そのまま真空妙有の相(すがた)に外(ほか)ならず、一切のはからいを超える処に、真実の悟があるのである。

道を求むる人々よ。

一切のものは何一つとしてそのまま、永遠(とわ)の生命(いのち)、久遠の実在ならざるものは無いのだから、生まれたり滅びたり、垢(けが)れたり浄(きよ)まったり、減ったり増えたりする如き分別(はからい)は、もとより少しも無いのである。

故にこの悟の上には、物も心も行いも、森羅万象尽く、有るが如くに見えて真実にあるのではない。どうして迷いの嘆きに苦しみ、悟の歓びに執われることがあろう。

そのまま天地の真源に立ち、光明三昧の生き通しなのである。

かくの如く尊き妙智は、万象の真源に徹し、一切の分別(はからい)と執着とを解脱しているが故に、かかる道理を体得した人々は、自ずから無位の真人となって物や心を自由に使いこなし、行住坐臥、心に礙(こだわ)りなく、したがって目前の是非、本末を過(あやま)ることがなく、心は常に大盤石である。

諸仏菩薩も祖師先哲も、この真空妙有の妙智を体得せられているが故に、世にたぐいなき真実の悟を得られたということができる。

されば、一切の分別(はからい)と執着とをすて、天地の真源に徹する妙智こそは、不可思議の力をもち、万象を包む光明であり、世に優れたる神秘をもち、たぐいなき霊力を働かすものというべきである。かくて世のあらゆる苦厄を浄化し安穏ならしむること必定である。

この故に尊い妙智の功力を人々に体得せしむるため、これを呪文として次の如くに説かれている。

往け 往け  さとりの彼の岸へ  吾れ他(ひと)ともに到り得て  さとりの道を  永遠に成就(とげ)なん。


戦後70年

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東北の山や川や海は

「単独でいる者は無にすぎない。彼に実在を与えるものは他者である」と印度の詩人タゴールは気づきました。

この世の中に、単なるモノ、単なる人はあるだろうか。

単なる太陽や月や星、雲や空、お年寄りと子ども、笑いや喜び、驚きや悲しみ、痛みや寂しさなど。

東北の山や川や海も、単なる山や川や海でないはずです。人は自分の中にある山や川や海という景色の中に、自分を置くことができます。

このことは、様々な景色のなかに生まれ、景色の中に生き、景色のなかに死を迎えるものともなります。

その景色とは、そこに生きる一人一人の心に、映された東北の山並み、奥羽山脈南部の阿武隈の山々、北上高地の山々、そして三陸の海にしても島々が散らばる景色、畑があり、水田があり、果樹園があり点在する家々の景色たち。

その景色は何処にあるかと言えば、人間にとっては、一人一人の心の中です。

しかも不思議なことに、私の心の中に写る景色に、いつも私は見ることができない事実に驚きます。

人間の目には、二つの目があることを考えただろうか。写すレンズのような目と、マナコという意識の眼。私の目に写る景色に、私はいません。

私は写らないことを思いつつ、写ったものは、私以外のものばかりと考えたことはあるだろうか、私はいないと…

私はいないことを自覚してみると、その時同時に、私が東北の山々そのものとなって、春にはその山々の芽吹きと共に私も芽吹くことで、春爛漫となり、やがて芽吹いた緑が山々をおおうことで私が夏となり、知らず肌寒さと共に黄金色の姿から朱く染まって私が秋となり、地肌を見せて真っ白な姿となって私が冬となります。

そんな山々を写している人間の歩みを、仏教は青い山々が河の上を歩いているといい。

しかも、私が寂しければ山も寂しく、山が悲しければ私も悲しくて大泣きするし、私が可笑しければ山も大笑いするようにです。

それだけではなく、人の痛みや叫び、子どのやすらぎや生きる歓びという聞こえない声が見えます。

すべては無心という、写す私がいないからです。

人は、その景色の中に生きることで、心の思いを育て、言葉にできないことを記憶しながら、自分自身を創り上げているものです。 

「単なる自然の世界は無宗教的世界である」と言ったのは哲学者の西田幾多郎でした。 

単なる私なんてあり得ないことですが、人は意識しなければ、その繋がりを見ることは難しいことです。

更に見ることがもっと難しいことは、その繋がったということにこだわって、繋がりの中の各々は、繋がることで、同時に分離し、独立するという意味が見えないことなのです。

世の中には、単なる自由や単なる独立などはあり得ないことです。繋がるということにおいて、人は、独立し自由を得るということを考えなければならないと思うのです。

みんな、つながっているから。みんな独立しているから。



慈悲するうちは
江戸時代ですが、我々の大先輩の至道無難禅師の言葉に、「慈悲するうちは、慈悲に心あり。慈悲熟くすとき、慈悲を知らず。慈悲して慈悲知らぬとき、仏というなり。」という言葉があります。

この、言葉の論理こそ、お釈迦樣の悟りとして、ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念をもつことを現すものです。

この慈悲という言葉を様々に言い換えてみましょう。

「仕事して、仕事するうちは、仕事に心あり。仕事熟くすとき、仕事を知らず。仕事して仕事知らぬとき、真の仕事というなり」と、もっともその仕事が人をだますことや悪にたずさわって人を不幸にするものは「地獄」ということになりますので、要注意です。

日本国を例に取れば、「国するうちは国に心あり、国熟すとき国を知らず、国して国知らぬとき理想の国というなり」と。

「信仰して信仰するうちは、信仰に心あり。信仰熟くすとき、信仰を知らず。信仰して信仰知らぬとき、仏というなり」と。神さまや阿弥陀様や観音様に自己のすべてをおまかせできたとき、仏国土や神さまの心の中に包まれていることも知らない世界となります。

「勉強して勉強するうちは、勉強に心あり。勉強熟くすとき、勉強を知らず。勉強してして勉強知らぬとき、……」、これは何というのでしょうか、充実、生き甲斐、その時その年代の人生そのものでしょうか?

「人を愛して愛するうちは愛に心あり、愛熟すとき愛を知らず、愛して愛しらぬとき……」これは、人の痛みや悲しみが自分の痛みや悲しみとなって、きっとお釈迦樣やキリストのような存在となっていることに較べることができます。そのとき、決してウソ偽りや暴力差別などという言葉が無縁な世界や人生を生きるということなのでしょう。

いくつかの例をもって、「慈悲するうちは、慈悲に心あり。慈悲熟くすとき、慈悲を知らず。慈悲して慈悲知らぬとき、仏というなり」という至道無難禅師の言葉お言い換えを致しましたが、数多くあると思うのです。

「悩んで悩むうちは、悩みに心あり。悩み熟くすとき、悩みを知らず。悩みして悩み知らぬとき、悩みはなくなっている」とも考えられるのです。

「坐禅して、坐禅するうちは、坐禅に心あり。坐禅熟くすとき、坐禅を知らず。坐禅して坐禅知らぬとき、仏というなり」ですが、本人はもう仏も自己もない状態といえます。

自分を見て自分を観察しているうちは、自分に心ありです。自分が熟すとき、自分はいない状態ですが、仏といいます。

すべてに成りきれる自分という意味で、人の痛みや苦しみになり、釈尊仏陀の「衆生病むが故に我もまた病む」という心です。空になり、山になり、海になり、名も無い雑草や木々になり、自己の最も自然な状態といえます。

坐禅はなにもただ静かに坐っていることではありません。行為もまた禅というように、人のすべての行為もまた禅なのですが、慈悲しなければ、仕事しなければ、国しなければ、信仰しなければ、勉強しなければ、人を愛さなければ、悩まなければ、坐禅しなければ、扉は訪れもしないし、開かないのです。

ホームページビルダーがおかしいの?
 かなり前から、困ったことが続いているのです。困った!《この夢を見るのは誰ですか?》のブログは、ホームページビルダー15によって書いていました。ところが、バージョンアップでビルダー18になってより以降、このツールではブログ作成ができなくなってしまいました。昨年より、管理画面を使って書き込みしているのですが、プルグラムアンインストールで入れ替えてもダメです。買い換えなければ良かったと思うものの、では15に戻すかというと、勿体ないし……

菩提樹
釈尊の教えは、インドでの二祖摩訶迦葉から伝えられ、二十八人目にして達磨大師に伝わります。その達磨大師が中国に来られます。その法は中国で二祖、三祖、四祖、五祖に伝わります。

さて、その五祖は、跡継ぎとして、弟子達にテストをします。

その問題は、悟りの心境をうまく詩に表せた者を後継者と認めようとしたことでした。

先ずは、当初、五祖門下筆頭だった神秀禅師が壁に偈を書きました。

神秀の詩は、「気づいてみれば、私の身は、菩提樹のごとし、その心は澄み切った鏡のように写るものをそのまま写しています。だから、いつも澄み切った鏡が汚れたり傷つけたりしないように、塵やホコリをためてはならない」という内容でした。

五祖は認めず、それを聞いた六祖が神秀の詩をさらに奥深くする詩を書きました。

「もともと心には菩提も菩提樹もないし、清らかさや鏡というものもない。本来心自身は常に清浄であるから、いったい何処に心の塵などがあろうか。心が菩提樹であり、我々の身体そのものを明鏡台ともいえるのだ。明鏡も本から清らかで、その清らかな身体の何処に塵に染まるというのか」。

六祖のこの詩を、五祖が認めたので六祖となったと伝えられています。

六祖は悟った上での詩でしたが、神秀禅師は、ある意味私たちに修行とか、気づきへの方向を示してくれています。

悟りの心境とは、心の問題であり、人の人生の問題でもありますので、こうした観点から、自己の問題は、心とは対象とするものではなく、現実の有り様ということになります。

禅宗の教えとは、お釈迦樣の悟った心のことです。その内容は、ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念をもって表現するものです。

この無相にして無住、無念という悟りを、お釈迦樣は二千年前に、菩提樹の下で、悟ってより以降、生涯にわたってこの一心を伝え、今に語り続けてまいりました。

また無心とも、空とも、からっぽともいう、私たちの心の本来授かっている無境ともまた無性ともいえるものです。

しかも、この無性や無境という本来性を持っているからこそ、私たちは自由に変わることが出来るともいえますし、元々とらわれの世界には居ないとも言い換えることができます。


この心は相対するすべての世界を映す心です。無心となるが故にです。

私たちは自我の世界に於いて、私は私はと自我を認めて、自分の外に世界があり法則がありと錯覚している生活。仏教から見れば、それはすべて迷いです。

静かに、相対的な世界に心が動かされている自我の姿を観察してみれば、自我とは現象に過ぎず、もともと悟っているものの、現象をより所として生きている姿が自我というものだと見えてこないでしょうか。

そんな人が活きる一瞬一瞬の自己を、一つずつ悟って、自分のものとして、釈尊仏陀は、自らをより所としてと、宣言しました。この法をより所としてとも、宣言しました。この過程を修業と言います。この自らとは無心な自己とも言います。

集団的自我
 最近、つくづく思うことがあります。

 世界のいがみ合うことのニュースがあり、宗教や主義として原因があり、それが正しい、いや違うと戦火をまみえテロとなってにぎわうように思えるのです。

 世界という点から見たならば、人々のやすらぎを、死者の安寧を願い祈るものならば、世界の宗教も、もともと一つのものではないかと見えるのです。

 仏教からいえば、今残されている仏教の宗派を興した祖師たちも仏教である限りは、お釈迦樣が悟った法、あるいは語り得ないものから、それぞれが選ばれて語られて特色とされたものです。
 それは過去の時代からいうと、信者からいえば利点といえた時代だったような、遠慮しがちに、そんな気がするのです。

 宗教は世界の一人一人の苦しみを見つめますが、国や地域、民族、国、主義、正義、あるいは宗教自身も、集団的自我をもっと見つめなければならない時代にはいっているのではないでしょうか。

 そして集団内の一人一人の生を見つめ、相対する思念を解きほごしての幸せを求めることが必要なのではないでしょうか。


35年ぐらい経ったかな
 振り返って見れば、住職になって35年ぐらいたつのではないか……

 副住職が3年半の雲水修行から帰ってきて、ようやく陽岳寺慣れたと思っていたら、今や、副住職の自覚のエンジンが、より回転した様子に、嬉しくもあり、あぶなっかしくもあり、たのもしくなってきた感もするのです。
 
 昨夜も、浅草のどこかに行き、座禅会用の座布を40ヶぐらいか持って出かけ、夜10時過ぎても帰ってこないのです。
 会場は、喫茶店だったり、神社だったり、会社だったり、請われればどこでも……というのか、どうも地域起こしのようなことまで。

 あるいは、本堂に若い人を中心に、ボランティア60人から70人集めて、5月増上寺の仏教フェステイバル「向源」のイベント説明会をするというし。

 私には考えられないのですが、お茶会、ヨガ、親子との対話集会、パソコンやテレビゲームではなく仏教をテーマにしたカードゲーム制作などなど。

 宗派や宗教を越えてのつながりというか、そういう時代に入っているということなのでしょうし、それに気がついたのでしょう。 

 宗派的に言えば、副住職は「転じられた自己が、転じるようになって」、最近は陽岳寺という枠の中のことより、外に出て活き活きとしていることが多いのです。あるいは、「随処に主となる」とも言えるかも知れない。

  実際には、随所に主となりは、副となり使い走りになり徒労となり友となり聞き役となり話してになりで、感情から言えば、意気が上がったり下がったり、自分を叱ったり、人の寂しさや苦しみに同化したりです。

 でも考えてみれば、自分を活かせる」時間を持てたことは、子供もいてお年寄りもいて、困った人もその困った人に自分の時間やお金を与えることができる人もいて、差別に喘いでいる人や様々な場所に、様々な基盤がある都会に自分を活かせられているともいえます。

 そんな彼を見ながら、何故か私は、ますます忙しくなって、もうメチャクチャ、一つの身体で、一つの頭で、幾通りの役回りとなっているのです。

 私が、住職となってしばらくだったと思います。親しいお婆さんから法事を依頼されたときです。
 そのお婆さんの放った言葉は、今でも私の心に突き刺さっています。

 「和尚さん、お経はサワリだけにしてくださいね!」と、「何分ぐらいですか?」と、「短ければ短いほどがよい」と。

 確かに、今の読経では、伝わらないし、心に響かない。
 せめて大勢で大きな声で、あるいは音楽のようにかなでるものなら印象が違うかも知れない。

 そんな何坪もない末寺の私に、答えてくれるところなどあるわけがない。

 そう知って、何とかしなければと35年がたち、どうにか、日本語ですべての法要ができるようになってきました。やすらぎや喜びを感じられ、シクシクと涙を流し、人に人生の受用と活きる力を法要で伝えられるようになったということです。場所も道具も、その時その場で、施主に合った法要をです……

 ただ言葉というのはお経と違って、語り手の心というのか、見方というのか、思いというのか、考え方というのか、意志が反映されます。これは言語の持つ特色だから仕方がないのですが、怖さもあります。


なが~い一日
 「ちいさな、ちいさな王様」という童話があります。

アクセル・ハッケ作、ミヒャエル・ゾーヴァが絵を、奈須田淳さんと木本栄さんが共訳し、平成8年10月15日に講談社から出版されたものです。主人公は、平凡なサラリーマンをしている「僕」で、物語は王様との不思議な経験談です。
 小さな、小さな王様は、自分の誕生を語ります。

 「おれはだなあ、ある朝、ふいにベッドで目覚めたのだ。それから仕事をしに王子の執務室にいったのさ。実に、単純なことじゃないか。おなかのなかにいるだと?ばかばかしい!人生というのは、ある日起き上がって、それですべてがはじまるのだ」と。

 「王様の人生は、それからどんどん身体が小さくなって、小さくなればなるほど知識も忘れて、やがて、老いが訪れるようになると、仕事もしなくてすむようになります。
 食事も誰かがくれて、頭の中には忘れれば忘れるほどに、真っ白な自由な空間ができ、そこに遊びや空想で埋め尽くされるようになります。
 現実を、何をして遊ぼうかと、何しろどんどん小さくなってゆくわけですから、禁則はなく、ビックリしても、驚いたり、怖がったり、笑ったり、大声を出したり、空の星々に名前をつけたり、雲と遊んだり、何をしてもかまわない大きな世界をもつことができる。

 人生経験が豊富という意味も、何かを詰め込むことではなく、ものごとを判断することでもないが、実に、世界がよく見えて、よく聞こえ、思いも無限大という世界に生きることができるからこそ、王様なのだろう」というお話しでした。

王様は、童話の外の読者に言います。
「おまえは、朝が来ると眠りに落ちて、自分がサラリーマンで一日中、仕事、仕事に追われている夢をみている。そして、夜ベッドに入るとおまえはようやく目を覚まし、一晩中、自分の本当の姿に戻れるのだ。よっぽどいいじゃないか、そのほうが」と。

 ちょうど1年前のことです。小保方晴子さんがSTAP細胞を発見したと報道されたのは。残念なことにはこのSTAP細胞報道の顛末に、多くの子ども達は失望したし、信じることの危ういことを心に刻まれたのではないかと思います。

その小保方さんが、中学生の時に、この童話を読んだ感想が記載されていました。
 「王様の存在が夢か現実かはわからないけれど、この本を読む前の私にとっては夢であった。しかし、少なくとも、今の私の心の中で生きている王様は現実だということは紛れもない事実である」と。
 王様の夢をSTAP細胞としてみると、細胞がどんどん夢の中で自己主張をして、やがて小保方さんの外側へと飛び出したような。
 しかし夢と現実は、現実も夢と解釈できることから、マスコミに報じられなくなった小保方さんの夢はまだ終わってないのではないかと思っています。それでないと可哀相です。

 「夢にあらず、現実にあらず、現実にして夢、夢にして現実」と、哲学者西田幾多郎氏は言います。夢と現実はつねにリンクしています。どちらに陥ってもいけないと。

 平成27年3月末のことです。地元の小学校6年生の卒業式に本年も民生児童委員として、また地元の町会長として、また小学校地域懇談会として招かれました。
 6年生の旅立ちは、1年生から6年生の出来事の想い出をクリップして語っているようでした。
 その思いでの数々を聞いていたら、子供たちは一年一年ドキドキハラハラ予測のつかない時間を過ごしていたことを考えていました。

 しかも小学生になれば、1時間目2時間目と、国語や算数・理科・社会・音楽に運動と授業が連続しているし、学校の行事も、運動会や遠足、学芸会と多いし、すべてが時間によって動かされて行きます。連続する時間は一週間、月や学期ごとにかわりながらも時間というものに依存しながら動かされて行きます。

 考えてみれば、今の私たち普通の大人と同じような時間を持っているにもかかわらず、子ども達の一日の長さは、大人のお年寄りの時間よりはるかに長いのです。
 しかも幼年期の記憶は、年をとっても消えない想い出となっています。さらに故郷というエリアに広がって濃く厚い。人生の中の時間の重みというか、高齢になっての時間よりはるかに大きな時間の大きさなのです。この時間の違いは何だろうか?

 懐かしさ、忘れられない思いで、幼友だちに故郷、高齢になっても思い出せばすぐそばに、故郷の景色が広がります。
 幼かった頃の経験は、ひとつひとつ目に焼き付いて、思い出せば言葉ではなく映像が湧くから不思議です。

 初めて見た……初めて出合った……初めて経験した……初めて……1年生も初めてだし2年生も初めてのこと、初めてが続き6年生もはじめて、中学もはじめての経験です。ハラハラドキドキ、友達と時間を忘れて遊んだ記憶、初めての経験は遠くまで町を探検して世界が広がります。ゲームにしても漫画にしても集中した時間は時間を忘れて、叱られるまで、気づくまで、暗くなるまで気がつかないことが多い。

 夢中に勉強し勉強を忘れる、遊んでいて遊びを忘れる、友達とペチャクチャ話していてその話していることも忘れる、冒険して冒険を忘れる、テレビを見ていて見ていることを忘れる。充実している忘れられない故郷の時間を作ったとも言えるのではないか?

 子ども達に、ご両親は、時には大きな声で「何してるの、遅いわねえ。何処に行っていたの、誰と遊んでいたの」と秘密もできてきますが、共有した時間も誕生してきます。

 やがて時間を忘れ、自分を忘れた時は過ぎ去り、その頃、徐々にですが自己の外の時間の概念による生活、思考や理想、相反する概念による自己への縛りによって、時計は先に進み1日は長くなっていきます。

 夢と現実という相反するものが、反するが故に結びつき、同時に結びつくことで、分離するという現象は、夢が現実となり現実が夢となるを持ち続けながら現実を大切にすることで、結ばれたものが分離していると思えるのです。

 現実は夢を根拠にして、夢は現実を根拠にしてある姿に、大きな夢も、小さな夢も、はかない夢も比較できるものではなく、今・ここに変わりはない。
 ちいさい ちいさい王様のお話は、私たちの時間の進み方に対し、時間に依存し、記憶に依存し、一日はますます短く、やがてあっという間の時間となり、夢となっていくことに警鐘を鳴らします。


観音様
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深川二丁目と一丁目の交差点を見つめて、交通事故がないように祈る観音様です。


そろそろ隠居かなあ?
つい最近のことでした。

90歳を超えたご婦人からの電話でした。

「和尚様では恐れ多いのですが……私、ご相談がありまして……

副住職の都合のよい時間にうかがいますので少し聞いて欲しいことがあるのです」と、

日時を約束して電話を切ったのでした。

この夫人は、数年前にご主人を亡くされたあと、一人暮らしでは先行きに不安を抱き、自宅の近くの有料老人ホームへと引っ越していました。

お墓には、娘さんとご主人が眠っています。

そして数日が過ぎて、彼女が杖もつかずに、ゆっくりとゆっくりと笑顔で訪ねてきました。

副住職が応対して、どんな内容だったのか、今も聞いていません。

ただ面談中に一度、副住職は私のところに来て、「生前葬をしていいですか」とうかがいを立てました。

私は、「二人して相談して決めたことだからいいよ」とだけ答えたのです。

そしてまた二人だけで話し込んでいました。

時間が経って、昼近くになっていました。

面談が終わったらしく、副住職は「今から、食事に行ってきていいでしょうか」と私に告げました。

「いいよ、行ってらっしゃい」と、笑顔で食事に行く二人を見送りました。

90歳を過ぎたご婦人が、孫か曾孫のような副住職と連れだって食事に行く風景……

小さかった子どもの頃から知っているとはいえ、ここまで信頼されて、終の相談を受ける姿に嬉しくなる自分がいます。

苦海
平成22年2月頃に、「十一面観世音菩薩」と題して書いた文章。

そこで、紀州と伊勢で活躍した海賊衆が、江戸深川に建立した陽岳寺のシンボルをもう一度考えてみたいと思うのです。500年を超えて見守っている本尊の脇侍(わきじ)はお地蔵さまに毘沙門天です。

 ちなみにお寺に安置するご本尊は、たとえ仏像が違っても智慧と慈悲を表現するものです。ご本尊が変われば脇侍(わきじ=本尊の前立ちとして2体の仏像を安置します。三尊像ともいいます。)も変わります。

陽岳寺のご本尊は琵琶湖東の廃寺からお招きした十一面観世音菩薩です。大津の三井寺(園城寺)や京都清水寺と同じです。

この十一面観世音菩薩には、10種類の現世利益があると言われています。
1、病気にかからない。
2、すべての仏さまに受け入れられる。
3、金銀財宝、さらに食べ物などに不自由しない。
4、すべての怨敵から害を受けない。
5、国王や王子が、王宮で慰労してくれる。
6、毒薬や虫の毒に当たらず、悪寒や発熱等の病状がひどく出ない。
7、すべての凶器によって害を受けない。
8、水死しない。
9、焼死しない。
10、不慮の事故で死なない。
 これは十一面観世音菩薩を信仰するすべての人の、この世での安楽への約束です。

現世だけでなく、また来世での利益も説かれています。
四種功德であり、
1、臨終の際には必ず本来の如来とまみえることができる。
2、地獄・餓鬼・畜生という苦しみのところに生まれることはない。
3、生死にとらわれない。
4、極楽浄土に生まれ変わる。

ところで、インドでは、バラモン教の神さまエーカダシャル・ルドラといい漢訳で十一面荒神と翻訳されています。無限の空間を意味し、苦しみや願いごとがあれば何処にでも出向く観世音菩薩の姿を替えた化身だそうです。

観世音菩薩、頭部に深き願う思いとする、十一のしるしを掲げるは、心の根源を突き止めたあかしとして、正面の三面を菩薩面とし、それは穏やかな佇まいで善良な衆生に楽を施す、慈悲の表情を現しています。

向かって左の3面は、怒る瞋面(しんめん)とし、邪悪な衆生を戒めて仏道へと向かわせる、憤怒の表情をしています。
向かって右の3面は、角と牙をだしながらも、衆生に行いの浄らかさを励まして仏道を勧め、それを歓ぶ夜叉のような菩薩面です。
さらに後ろに一面があり、それは大きく口を開けて笑う面で、これは悪への怒りが極まるあまり、悪にまみれた衆生の悪行を笑い滅する顔を現しています。
そして最後の十一面は、頭部頂上に阿弥陀仏を安置し、どんな時でも今ここの平安をひたすら示しています。

総じて、すさまじい願いを持って突き進もうとする十一の顔があるのですが、最後の一面は、本体のお顔と坐する姿形は静けさにあふれて決して動こうとはしていません。

それは、私の父や母が生まれぬ以前の、私もない私の心を示しています。

湖東という場所は、戦乱に明け暮れ民衆がそれだけ戦火や飢饉、災害に命を投げ出し、交通の要衝でもあることから様々な人が流れ込んで治安が乱れ、混乱を繰り返していた苦海だったことが想像できます。

その十一面観世音菩薩が深川に鎮座して、84年を迎えています。繰り返しますが、陽岳寺の十一面観世音菩薩三尊像の脇侍は毘沙門天とお地蔵さまです。先にも申しましたが、仏教は智慧と慈悲です。

その智慧と慈悲を、毘沙門天は勇みを表現し、慈悲は情けをもって、下町の粋(いき)を表現していると考えています。純粋の粋(すい)という字は、下町では粋(いき)と読みます。

哲学者の九鬼周造は、『「いき」は苦界にその起源をもっている。そうして「いき」のうちの「諦め」従って「無関心」は、世知辛い、つれない浮き世の洗練を経てすっきりとあか抜けした心、現実に対する独断的な執着を離れた瀟洒(しょうしゃ)として未練のない活淡無碍(かったんむげ)の心である。』と言います。

深川の歴史は、土地の造成と人工の流入そして多くの災害や戦火のなか、面々と受け継いでいる人間の四季と共にある苦海に咲くにぎわいです。

苦海ゆえに、純粋には生きることができない。純粋の純(すい)は混じりけがないからです。しかし深川は変わることを受け入れざるを得ないことから、純ではなく、純粋から純を取って、粋(いき)として、その意味は、そのまま・ありのままと読み替えて考えた智慧です。

漢和辞典には粋の意味として、「世態人情に通じて、ものわかりのよいこと。芸人や遊里の社会などの事情に通じ、動作が自然にその道にかなっていること」と記されています。

粋(いき)は、混じりけがない、欠けるところがないと、不純なものを追い求めてなくして純化するのではなく、自分を殺さず人を受け入れて、そのまま、ありのままという意味になります。

苦海とは、心の中にわき起こる怒りやねたみ愚痴、執着心と考えれば、智慧としての勇みは常に自分の心にわき起こるものに対してです。

また慈悲としての情けという活淡無碍の心は、他人他者(自分に相対する空間に時間、植物・動物・感情や意味、物・さまざま)に向かって生ずる心であり、他者をそのまま受け入れるものとなります。勇みによりとらわれがないことから、自由となり他者の声が届き、「勇み」の中に「情け」を含んで、「情け」の中に「勇み」を含むという、それが粋ではないかと考えています。
漁師町の「いなせ」「いさみ」に、木場あるいは佐賀町商人の「豪気さ」、そして、仲町と寺町の「なさけ」が熟成して、「いき」を創り上げた深川の十一面観世音菩薩の「侠気(きょうき)」としました。

 さて、この「いき」は、一人一人の心のはずなのに、この頃考えることは、集団にとっても当てはめることができることです。
考えてみれば勇みはとらわれに対するメスでもあるのですが、集団としてとらわれに向かっての勇みはどう働けばよいのだろうか。そして対である他者に対する情けは、集団としてどう働かなければならないのだろうか。

 もともと集団にとって勇みや情けなどないはずなのに、うらみ、いかり、嫉妬、ねたみ、傲慢さ、利益、貧困、格差、自らの理想を唯一とする理想とか崇高というものも含めて、これらとらわれにメスを入れる勇みや、人々の痛みに対する情けは、どう届けばよいのだろうか。
家庭や企業、地域や国、宗教として追求していくと、純という混じりけのないものとなって、それが歪んだ状態になっていることすら気づきません。

「人間にとって本来の混じりけのないものは何だ?」の問いは、私が生まれる以前の私の心へと向かわなければ答えは見えてきません。

それには、今私の心にわき起こる現象は、どこから生じてきたのかの問いにあります。苦海は集団のなかに発生し、一人一人の心にウィルスのように広がることを歴史から世界から見せつけられています。

人の心は他者によって相対的に成り立っている心を転じることで私となるため、私の外に変革を求めるものです。苦海は私の心にある幻想です。


愛語
山野草をこよなく愛したお年寄りがいました。彼女は語らないモノをして、語らしめる達人でした。彼女は、一人山々を歩き、山野草を見つけては、眺めていました。

山野草の、可憐な姿の、ぽつんとたたずむ意味は?

なぜ貴方は、日陰ばかりが好きなの?

人も通らぬスポットライトのような日向に淡い色となって生きて、花の形にどんな意味があるの?

不思議な形をした姿にどんな意味があるの?

誰の目にも止まらぬ姿で、なぜ群れをなしているの?

どうして高い山にだけ、風の強いところばかりに、水辺の所ばかりに生きるの?と。

不適応と考えるなら人間にも当てはまりそうですが、山野草にとっては自ら環境を選んでいるはずです。野草の弱さのゆえに強くと、彼女は野草に自分をかぶせていたのか。

選ばれて選び、選んで選ばれる、「そっと野に置けレンゲ草」……。

山野草をこよなく愛する意味を考えてみると、山野草の語る内容の純粋性に気付くことです。すると、人間の生き方も変わるということでしょうか。

彼女は、山野草が語ることを聞きながら山野草に同化していたような気がいたします。

探し求めなければ出会うことができない山野草は、心ない人が立ち入れば、手を加えれば加えるほどに、そっとしておけばよいのに。手が加えられ、環境が変われば消えてなくなることを思うと、まるで彼女の心も消えかけては立ち直って人の心のようです。

彼女の姿を思いながら、実は山野草だけではなく動物や魚、自然の生物も、聞いたり見たり感じたりして、語らしめることができると考えられないでしょうか。

語ることは、自分自身を含めて、必ず聞く相手を要します。そして、聞く、見る、感ずることにより、語らないものをして、語らしめることができます。

そんな彼女が、突然のように四十日間の入院生活になり、旅だって逝きお手伝いを致しました。亡くなった彼女の老後の慎ましさ謙虚さを知れば知るほど、自己に厳しく質素さの花が咲いていたと、逆に、彼女の強さが美しく輝きました。

否定を通して、否定の強さを手に入れられたのは野草に魅入られたからか。野草に対して自分をなくすことで、却って自分が際立ち喜びや野草の強さが自分のものになったような。

それは、山野草の前にじっと、坐禅をして、瞑想しているひと時を楽しむようです。日本各地の野草を訪ねる様は、まるで修行僧の姿のようです。

禅の古歌に「身すでにわたくしにあらず、いのちは光陰にうつされて しばらくもとどめがたし」と。

そのありようは、自己も根拠にはならないことを示しています。命は、対象とする環境とともに、時間も変化し続けるからです。彼女は、対象である山野草に魅入られ、「この人なら」と立ち入ることを山野草に許された彼女でもあったのでしょう。

ご主人の旅立ちがあって、一人山野草を訪ねて日本各地を歩く母を慕い、誇りに思う子どもたちにとっても、老いの季節を重ねて咲く彼女という山野草は、ひっそりとした、与えられた環境に、見事に咲いていたと思ったものでした。

彼女は、「子ども達、孫たちの日常の生活に、迷惑を掛けない」ことを願っていました。

息が苦しく、「終わりにしてくれ」と娘たちに訴えました。「他人(ひと)の手を掛けるな、それが人にとっては一番楽なことだ」と、山野草のような響きとして聞こえてきました。

山野草にとって、彼女は選ばれた人でしたので、お互いにどんな愛語が投げかけられてい
たのか考えました。

禅の語録には、よく珍重(ちんちょう)という言葉に遭遇します。珍重するという古語は、特別な意味を持つように感じますが、禅語大辞典を引いてみると、別れを告げる常套句であり、「お大事に!」とあります。

さらに不審(ふしん)という言葉にも遭遇します。「はっきりしない」という意味を現代では使うのですが、禅語大辞典は、挨拶言葉で、「ご機嫌よろしゅうございますか」と、この言葉は共に、弟子から師匠にかわす篤い言葉だった意味を教えてくれます。

言葉である限り必ず対象があります。山野草から慈愛の心を起こされ、その慈愛の心が山野草を包む、ほめて憐れみ、愛おしく山や野に行けば、そこに自分の心地よい特等席が用意されていたのでしょう。彼女も、山野草への挨拶は、もちろん「不審」に、「珍重」です。

愛語は使えば使うほどに心が豊かになり、対象が気になり、気遣うこととなり、対象と同化して、自分がいなくなるものです。

その逆に他者への、うらみ言葉や、見下げる言葉、あなどる言葉、しいたげる言葉、追い落とす言葉、脅(おど)し言葉、怒鳴りつける言葉、だます言葉、もてあそぶ言葉、悪口、陰口、さまよわす言葉、うらやましさを表現する言葉……は、相手を傷つけ、怒らせ、怨みをもたせ、自分を傷つけ、殺し、良心から見ると悲しみを持たせます。

愛語は慈しみや悲しみという慈悲の心からでた言葉のことです。慈悲の心から出るのですから身体中に表現されるものです。

慈しみは、他者の心の安らぎを願う気持ちですし、悲しみは他者の心の痛みや寂しさ辛さや不幸を救済する気持ちです。

他者が世界が喜べば私も喜び、他者が世界が悲しめば私も悲しむ。他者や世界に包まれて包むというあり方を仏教は、これも縁起とよんでいます。

動物も魚も植物も昆虫も息あるもの、それだけではなく自然も愛語ばかりであると感じられるとよいのですが。

非難するのではなく、愛語で包めば天下国家の方向も変化させることができます。

至道無難禅師の、「慈悲するうちは、慈悲に心あり。慈悲熟くすとき、慈悲を知らず。慈悲して慈悲知らぬとき、仏というなり。」という言葉は、お釈迦樣の悟りの言葉です。

「国するうちは国に心あり、国熟すとき国を知らず、国して国知らぬとき仏国土というなり」と改めて、新年にあたり、布施・愛語・利行・同時という四摂法の愛語を考えてみました。


神通妙用
釈尊が亡くなろうる直前、迦葉尊者に法を伝えたのですが、側に控えていた阿難尊者には、こう問いを残しております。

「法の本法は無法なり、無法の法も亦た法なり。今無法を付する時、法何ぞ曾て法ならん」と。

それから1,000年以上経て、「法、法に非ず」とはどのようなことでしょうかと、修行僧が趙州和尚に尋ねました。

趙州は「東西南北、上下四維」と答えました。

無法へのきづきです。

「神通妙用、妨げるものはなにもない」と。

これも説明か!「


バランス
バランスは、均衡・平静・安静・安定という。
ワークバランスといえば、仕事と家庭との調和いいます。食事バランスからは、フードガイド、食事の指針があります。

このバランスに対してアンバランスは、相対するものの不均衡をいいます。

社会・貧富・所得・情報・健康・医療・教育・恋愛・世代間・一票・生まれも含まれて様々なアンバランスの問題がニュースになる時代になってしまいました。

原子力の問題も、9・11よりバランスの問題に、国債の問題も微妙なバランスにおいて成り立っています。

バランスは微妙な平衡感覚で、その感覚は私たちの内部の心の問題でもあります。

ところで、仏教のバランスは、中道ともいい、相対するものに偏しないということになるのですが、それはバランスとアンバランスを離れたものなのでしょうか?

バランスの根拠はアンバランスにあり、アンバランスの根拠はバランスにあり、双方が切っても切れない結びつきであり、結びつくことで成り立っている関係なのです。

相対する関係の中で生きる私たちの価値観に生きて、相対するものに偏しないという生き方。

あなたならどう生きますか?

何度も何度も書き換えて……

「単独でいる者は無にすぎない。彼に実在を与えるものは他者である」と印度の詩人タゴールは気づきました。

この世の中に、単なるモノ、単なる人はあるだろうか。

単なる太陽や月や星、雲や空、大人と子ども、笑いや喜び、驚きや悲しみ、痛みや寂しさなど。

東北の山や川や海も、単なる山や川や海でないはずです。人は自分の中にある山や川や海という景色の中に、自分を置くことができます。

このことは、様々な景色のなかに生まれ、景色の中に生き、景色のなかに死を迎えるものともなります。

その景色とは、そこに生きる一人一人の心に、取り込まれた東北の山並みは奥羽山脈南部の阿武隈の山々、奥羽山脈の山々、北上高地の山々、そして三陸の海にしても島々が散らばる景色、畑があり、水田があり、果樹園があり点在する家々の景色たち。

その景色は何処にあるかと言えば、人間にとっては、一人一人の心の中です。

しかも不思議なことに、私の心の中に写る景色に、いつも私は見ることができない事実に驚きます。

人間の目には、二つの目があることを考えただろうか、写すレンズのような目と、マナコという意識の眼、私の目に写る景色には、絶対に私はいません。私は写らないのです。その私は写らないことを思いつつ、写ったものは、私以外のものばかりと考えたことはあるだろうか、私はいないのです。そのいないことを自覚してみると、私は東北の山々そのもの、春にはその山々の芽吹きと共に私も芽吹くことで、春爛漫となり、やがて芽吹いた緑が山々をおおうことで夏となり、知らず肌寒さと共に黄金色の姿から朱く染まって秋となり、地肌を見せて真っ白な姿となって私が冬となります。

そんな山々を写している人間の歩みを、禅は、青山常運歩といい、青い山々は私の歩みと連なって歩んでいると表現します。山は動かないと私が思っていたら、私が山となって、空となって動いていると、しかも活発に動いて、私が寂しければ山も寂しく、悲しければ山も悲しくて大泣きするし、可笑しければ山も身体を揺さぶって大笑いするようにです。

すべては写す私がいないからです。

人は、その景色として生きることで、心の思いを育て、言葉にできないことを記憶しながら、自分自身を創り上げているものです。

 人は無心となれるが故に、花となって咲き、山となってそびえ、川となって流れることができます。

「単なる自然の世界は無宗教的世界である(無神論的世界と西田は書いています)」と言ったのは哲学者の西田幾多郎でした。 単なる私なんてあり得ないことですが、人は意識しなければ、その繋がりを見ることは難しいことです。

更に見ることが、もっと難しいことは、その繋がったということにこだわって、繋がりの中の各々は、繋がることで、分離し、独立するという意味が見えないことなのです。

世の中には、単なる自由や単なる独立などはあり得ないことです。繋がるということにおいて、人は、独立し自由を得るということを考えなければならないと思うのです。

みんな、つながっているから。



The answer is blowin’ in the wind.
How many roads must a man walk down……

私が20歳ぐらいの頃だったろうか、この歌が街頭にあふれていたのは

それは…………

大砲の弾が飛び交う下で、普通に、人が誕生し、恋をして、老いて行くことを思ったことがあるのか?

無残な死者となることを誰が願って生きているものか?

首をかしげ、目を閉じ、言葉が無意味となる光景

あれから何年経っているだろうか、ボブ・ディランは幾つになっただろうか。

それが、まさか、地獄の中で生き抜く人間達が作ったおとぎの国の物語を現実しようとは

ただ願うことは、見えない叫びを目で聞け、地に倒れた人の思いを耳で見て欲しいだけ

その答えは、風に吹かれて……風となって……

答えは 風の中に……人の中に……


機(はたら)く
幾度も人の死に立ち会って、それは最後の時ですが、思うことがあります。

病院のベッドで、喘ぎながら、ゆっくりと、しかも力を振り絞って呼吸する息。

身体が枯れて、顎門を上げて、眼は見るというより写すように。

モニターはオレンジ色に点滅し、悲鳴をあげるなかに。家族は言葉少なし。

言葉は少ないからと言って、言葉がないのではない。

言葉があふれている。

数値の変化に、言葉となって外に出ることはないだけだ。

小さな身体となって、細い身体で、どこから力が湧いてくるのか、動かされて動き、動いて動かされるエネルギーは何処にあるのか。

頑張る様子だが、それは生きるということだと思っています。

動くに近いのか、こに準じた漢字に働くという字があるが、生きるに近く機という漢字があります。

機も働くです。意識とか心とか除いて、機能の機という働きが生きるという意味に近いような気がする。

とくにただ生きるという、一瞬性を加味すれば、機(はたら)くという字が、人間の根源的な機(はたら)きのような気がします。

人間の持っているすべての機能が動き続けるという……

何か「もう頑張らなくてもいい!」と、言葉にならない思いが聞こえてきます。

それでも頑張っている。

生きるって……素晴らしい……どんな時でもです。

いいなあ結婚式
1911.4.28、陽岳寺において仏前結婚式がおこなわれた。

そのしおりが、突然(ちっとも突然ではないのだが?)、本のページに挟まって出現した。

その内容は

開式し、般若心経が読まれた。

その廻向は、意味を生きる智慧を成就せしめんことを……と二人して生きる智慧をとある。

次に敬白文だが、出会いが導きと変わることで……転ぜられて転ずる生き方となり自在な変化に対応して活きることの祈りだ。

帰依三宝・受戒だが、日月の何時も輝いているが如くと……自己の光明を大切にすることが誓った。

数珠の交換には、素直さをいつまでも持てるようにと、帰依三宝と受戒の精神を形にした。

次に誓詞として、選び選ばれて私たちは今と、旅立ちとして

そして焼香をすることで、薫りに包まれて、心をつねに新たにして

寿杯は、夫は妻から、妻は夫から支えられていることを忘れないと……夫婦の根源は、互いの根拠によって成り立っていることを自分のものとした。

四弘誓願の最後として、いつもっころを謙虚に保って、すべてを敬えるようにと願った。

皆の前でおこなわれた式の内容は、立ち会ったすべてのひとを含んでいる。

生きる智慧として……

そうか、3,11の半年後だったのかと、思い出した。

本の中に閉じられて、また仕舞っておこう……

彼岸

『大智度論』というお経に、こんなたとえ話があります。

ある男が、使いを頼まれて遠くに旅びだって行きました。ある日のこと、夕暮れに古い空き家を見つけ一人で泊まりました。

夜が更けて、一匹の赤鬼が、人の死体を担いでやってきて、彼の前に置きました。男は動くこともできずに、震えていました。しばらくすると、もう一匹、今度は青鬼が急ぐように、やってきて、赤鬼に怒ってどなりました。

「この死体は、おれのものだぞ。なんで、おまえが担いでくるのだ!」

すると、赤鬼は、「これは、おれさまのものだ。おれさまが自分でもってきたのだぞ」と。

青鬼は、言い返しました。

「この死体は、じつはおれが担いでたもんなんだ」と。

二匹の鬼は、死体の手を一つひっぱりあって、争いました。

なかなか、決着がつきません。すると、赤鬼が、言いました。

「ここに、人がいるから、聞いてみよう」

青鬼が、人に聞きました。

「この死体は、誰が担いできたんだ?」と。

そこで、その人は心の中で考えました。

「二匹の鬼は、力が強い。ほんとうのことを言っても、殺されるだろう。でも、嘘を言っても殺される。どちらにしても、殺されるなら、だったら嘘を言って何になるだろう。」

そこで、人は青鬼に言いました。

「赤鬼です」

青鬼は、大いに怒り、その人の腕を引っこ抜いて地面に置いてしまいました。

すると、赤鬼は、死体の腕を一本抜いて、この人の腕の、ちぎられところに、くっつけたのです。

青鬼はさらに怒って、赤鬼はくっつけてと、こうして、つぎつぎと、両腕、両脚、頭、胸、腹、全部とりかえてしまいました。不思議な話が世の中に多い。

この後、二匹の鬼は、とりかえた死体を一緒に食べ、「ああうまかった」と、口をぬぐって立ち去って行きました。

一人、空き家に残された人は、不思議なできごとに、こう思ったのでした。

「お父さんやお母さんからもらったこのわたしの身体は、目の前で二人の鬼に食べられてしまった。

ところが、次々に赤鬼によって、私の身体は継ぎはぎのように、死体の身体で再生されてしまった。

いったいわたしの身体があるといったらいいのか、ないと言ったらいいのか。もし有るとしても、他人の身体である。ないとしても、今現に身体はあるのだし」と。

こう考えて、心が混乱して、解らなくなってしまいました。

 翌朝のことです。その空き家から出て、目的地である国の町につきました。

仏塔があり、多くの僧侶が集まっているのをみて、その僧侶たちに尋ねました。

混乱して解らない人は、ただ、余計なことを何も言わず、ただ、「わたしの身は有るのでしょうか、ないのでしょうか」と。

僧侶たちは、「あなたは、どこの人ですか」と尋ねたのでその人は、「わたしは、自分でも、自分なのか、自分では無いのかわからないのです」

と答えました。

そして、僧侶たちに、詳しく旅で起こった、できごとを語りました。

僧侶たちは言いました。

「この人はみずから、無我を知っている。簡単に悟りに至れるかもしれない」と。

そして、この人にこう言ったのです。

「あなたの心も身体も、もとからずっと無我だったのです。たまたま今悟ったわけではありません。

ただ、地水火風という四つの元素が結びついているので、『わたしの身体』と想定しているだけなのです。あなたの元の心も身体というのも、今の心と身体と何ら変わるところがありません。」と。

僧侶たちは、この人にお釈迦様の説いた内容を伝え、仏道に入らせました。その人は、仏道をおさめ諸々の煩悩を断じて、阿羅漢(あらかん)という位を得たのでした。

この話を聞いて、「やはりこの、頭を含めて心や身体は、私の身体でいて私のものではない。だけど、こうして歩くことも話すこともできるのだから、私のものではないのだが、私のものだ」という矛盾によって成り立っているといえないでしょうか。

「現実には他人の体と頭になっているにかかわらず、私のものと、私のものでないものが、矛盾を媒介として成り立っている私と言えばよいのでしょうか」。

赤鬼と青鬼の物語の、以前の身体や、取り替えられた心と身体とするなら、私の身体とは頭とは、そして心とは何のでしょうか。

 

妙心寺のホームページに、お釈迦樣の悟った心とは?とか書かれています。

その内容は、禅とは、心の別名であり、「ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念をもって表現する」ものです。

「これを本来の心の在り方とでもいえばよいのか、私たちの心は、もとより清浄な「本来の心の在り方」であるにも関わらず、他の存在と自分とを違えて、対象化しながら距離と境界を築き、自らの都合や立場を守ろうとする我欲によって、曇りを生じさせてしまうのです。」

「正確には我欲のままにならないということですが、無相・無住・無念という心の在り方には、何ものも世界のあらゆる森羅万象を映す働きがあります」と書かれています。

その働きの最大の特徴は、分け隔てなく映す働きです。

 自分のという捕われを無くした心にとっては、もはや、他者や自己はありません。その状態を彼岸と呼びます。

 その彼岸は、自己や他者が無くなったものには、此岸や彼岸ないのですが、実は現実世界という世界そのものなのです。気がつかなければ、此岸と彼岸は、いつまでたっても別々に対峙しているままです。



鬼すだれ
落語の中で、「忌中札があるのだが、そのハッキリとした意味がわからない。大した問題では無いのだが、しっくりしない」と質問されました。

江戸川柳に、「裏口へ嫁の願いは鬼すだれ」があります。江戸時代の家庭には、どこ台所にもあったものであり重宝されたものなのでしょうか。

時代物の小説や落語にも死者が出たとき、この鬼すだれを裏返しにして、半紙に忌中と書き表戸につるすことが書かれています。

伊達巻きなどに使用する三角の形をした竹を編んだものですが、細い竹を編んだすだれも代用されました。きっと、表と裏があり、表の使用は常ですが、日常と非日常ということでしょうか。

庶民の智恵だと思っています。それは日常と非日常は、別々にあるのではなく、裏表であると言っているように聞こえます。

非日常では、着物ですとエリの合わせ方を違えることも、ご飯を持ったお茶碗に箸を指すことも、普段と変わったこととしてです。

それにしても、「鬼すだれ」とは面白い名前です。意味がわかりません。

鬼に関しては、日本の物語には長い時代伝わってきていまが、聞かなくなったのは、明治以降ではないでしょうか?

ところで、神社仏閣の内陣には、隠す意味を含めて、内陣にすだれがあります。

御簾(みす)とも言いますが、へりには錦や綾で飾ったものです。

庶民の暮らしのすだれは夏のものですが、忌中のすだれには季節がありはせん。

鬼すだれは御簾(みす)の代用のような、鬼すだれで代用したのではないかと考えましたが、まだ納得がいっていません。


特別の教科 道徳
 平成26年6月28日、明治小学校では、5校時、道徳授業の公開講座がありました。
 小・中学校の道徳教育には、「道徳的な心情」「道徳的判断力」「道徳的実践意欲」「道徳的態度」といったキーワードがあります。
45分の授業を全部見ることはできませんので、1年生と5年生にしようと2クラスを見ました。

 ちなみに、ここ数年でしょうか、小学校の道徳の時間は、「特別の教科 道徳」になり、指針は大きく変わりました。1年生は年間34時間、他学年は年間35時間と聞きました。一週間に1回の授業に課題は大きく、将来において生き抜く力というのでしょうか、人間を作っているように思うのです。
 一年生というより低学年の指導要領の中心は、「人間として、してはならないことはしないこと」です。
 1年生としては少しずつ、嘘をついてはいけない。人のものを取ってはいけない。友達をたたいてはいけない。いじわるををしていけない。悪口を言ってはいけない。人のものをかくしてはいけないの5つを考えさせることです。
 自分もそうですが、友達がもしこの5つのおこないに違うことをしていたらと、その時の授業は、勇気でした。してはならぬことに遭遇したときの心構えを考えさせられていたのだと思います。
 授業は、物語をいれて、皆で考え、勇気を導きだし、自分の心の中に勇気を探す気配が感じられて、その勇気を表現しようと葛藤する姿が何ともかわいくて楽しませていただきました。
 1年生が机に向かって、ノートに、からだの中から導き出す勇気は時間がかかります。でも一生懸命にしぼり出した勇気は、大勢の子ども達の声で「それはいけない」でした。

 道徳は、指示(席を譲りなさい、)から模倣(日常性へ)へと進み習慣に至りますが、心情の動きから自己判断(身体などの弱い人へのいたわり)し、知識理解へとすすみ意力と行為(体力)へと育むことが課せられているのでしょうか。
 存在する意義と役割を見つけること、安心安定を感じないでいる(安心や安定は、相対する関係性のなかの場であり、その関係のなかで、つねに安心安定を求めるでかえって安定や不安が生じ損なわれることがある)場、達成感や成就感そして向上心へと育まれて行きます。
 授業の原点は、もっぱら自己を見つめることと、いろいろな他者との出会いを通して、他者との関わりを考え、行為となって支え支えられる関係の構築へといたるのでしょう。

 次の授業は5年生を途中からでしたが参観しました。
 5年生の指導要領は「相手の立場を理解し、支えあう態度」「集団における役割と責任を果たす」です。反抗期と感謝がテーマだつたのだと思います。
 私がのぞいたときは、VTRをプロジェクターでスクリーンに映していました。スクリーンに文字がスクロールしながら次々に映し出されて、背景には音楽も流れていました。
 まるでブログなどにあるような、それは現在35歳の男性が子供の頃を語っていました。
 親に反抗して、先生に反抗して、友達と問題をおこし、中学になってタバコを吸って、悪友との関係などが語られていました。小学校、中学校と成績は低評価で、何度も先生に世話になり、母親も呼び出されていました。そんななか、母だけが子どもを最後まで信じて、先生が語っていたことをその青年は知らされたのでした。
 その母は今はいないのですが、病気で亡くなったことが書かれていました。
 その青年は小さな会社の社長になって、母をなくした思いと、母への感謝の思いが、道徳授業でした。
 文面に感情移入しやすく、5年生といっしょに物語の中に引き込まれ、目頭をふきながら読んでいる子ども達もいて、心情の感想から母親の思い出を語っていました。
 きっと子ども達は、支えられていた思いを、母に伝えらない35歳にして語る言葉の重みを、今の自分に移入していたと感じられました。
 ノートには、「お母さんへの感謝」と書かれて、とても恥ずかしそうな思いは、どこから出てくるのでしょうか。現実のお母さんへの理解はすべて見ることはできませんが、少しでも見えたら、感謝を、今伝えることがいかに大切か、そんな授業だったのです。

 道徳は答えがありません。評価にもなりません。
 「特別の教科 道徳」は、自己を見つめることと、現実を性格に見つめる力を養います。
 支えてくれるものを見つめるとは、日常性に隠れて見えないものを、見つめるかのように、子ども達は支えられる思いに、答えることを学びます。その支えられていたものは、自分が支えていたものだったこともです。

 そして、最後の学年、6年生で、福沢諭吉の「ひびのおしえ」が登場します。
「人を殺すべからず。けものをむごくとりあつかい、むしけらを無益に殺すべからず。盗みすべからず。いつわるべからず。うそをついて人のじゃまをすべからず」と。1年生で出てきた内容を、もう一度、確かめながら、卒業していくのです。
 小学校では157時間に及ぶ道徳を考える時間があります。もちろん中学校にも高校にも道徳の時間は自分を見つめ豊かに生きることを目標に、道は未来に続くのです。

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許しのつぶやき
汝を許すとか、敵を許すとか言葉があります。

若し許すという心の言葉があったとしたら、仏教では、自分に向かって発する言葉になるのでしょう。

壁は、私の心にあるのですから。

しかも、もともと心には、そんなざわめきはあるはずがなく、対象とかかわって自分が創り上げたものです。

憎む、護るも、責めるも、対象にかかわって自分が創り上げたものです。

この現実にどう、対象とかかわって生きるか、他者をいたわり生きるか、それを考えましょう。